石田三成の重臣の子孫の蔵で、昭和10年に見つかった『佐和山落城記』は偽書か否か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3954)】
我が家のナンテンが実を付けています。


閑話休題、敬愛する地元の郷土史家・田村哲三が、徳川家康に敗れ斬首された石田三成の重臣の子孫が昭和10(1935)年に蔵から見つけた古文書に関する書籍を出版すると知った時、私の頭をよぎったのは、その古文書が偽書でなければよいがということでした。というのも、偽書ということが明らかになっている『武功夜話』が発見された経緯と似通っているからです。
そこで、恐る恐る、『「佐和山落城記」を読む――石田三成の重臣・山田家に残された古文書の謎』(田村哲三著、図書出版みぎわ)を読み始めました。この古文書は、三成の重臣で佐和山城の守りを託された山田上野之助(こうずけのすけ)の孫・山田宇吉郎(喜庵)が元和2(1616)年5月に書いたと記されています。
この古文書で私が一番気になったのは、山田家の先祖や、その主君・三成の仇敵ともいうべき家康や秀忠を敬称で記載している点です。この点については、著者も謎として考察しています。「出自を書いた文書は、家の奥深く仕舞っておけば他に露見することはない。しかし、万が一にも露見した場合を考えると、内府家康公を神と崇め三成を石田と呼び捨てにすることで、幕府に敵対する意思は全くないことを表したのではないか」。
『武功夜話』は、先祖の功績を事実以上に過大にアピールすることを目的に、ずっと後世の子孫が捏造したものだが、『佐和山落城記』には、そういう作為が窺われないので、山田家の遠い先祖の手になることは間違いないでしょう。「(上野之助の息子)隼人は出陣に際し、倅喜庵に遺言を残した。それは菩提の弔いの継承と、山田家の出自を後世に残すことであった」。
著者は、山田家の先祖が、佐和山城から遠く離れた千葉の北総深井(現・流山市東深井)に移り住んだことに歴史のロマンを感じています。著者は、「流山史跡ガイドの会」の理事長を務めているからです。そして私事ながら、この東深井は私の野鳥観察コースの一つなので、私もロマンを感じているのです。
