榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

織田信長が信頼・寵愛した女性・御妻木は、明智光秀の妹だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3996)】

【読書の森 2026年2月21日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3996)

コゲラ(写真1)、魚を食べるマガモの雄(写真2、3)、コウノトリ(写真4、5)をカメラに収めました。マガモが魚を食べるのを初めて見ました。マンサク(写真6)、ウメ(写真7)が咲いています。女性がカラシナを摘んでいます(写真8)。池の水涸れ状態が続いています(写真9、10)。因みに、本日の歩数は10,192でした。

閑話休題、『女たちの本能寺』(楠戸義昭著、祥伝社新書)では、濃姫、熙子、御妻木(おつまき)、お鍋の方、お市の方、細川ガラシャ、春日局の7人が取り上げられています。

『信長公記』のような一次史料だけでなく、『武功夜話』のような偽書からも引用されており、全面的に賛成できる内容ではないのが残念です。

しかし、「御妻木――『本能寺』の引き金となった光秀の妹」の章は、全面的に賛成できます。なぜなら、「この御妻木の面白いところは、戦国の女性はほとんどが二次史料の逸話や伝説めいた話が主体だが、彼女に限っては一次史料にしか姿を見せず、俗説の類が伝わらないことだ」からです。

●興福寺と東大寺が争った裁判の記録で、その訴訟を受けて、御妻木が織田信長に代わり政治的な手腕を見せた。

●御妻木は主に京都に住んで、天皇・公家、寺社の諸々の事案に関わり、政治的な解決に奔走した。

●信長の側近として力を持っていた御妻木には、多くの公家や寺社から日常茶飯事で数々の進物が届けられていた。

●御妻木は明智光秀の実妹ではなく、光秀の妻・熙子(妻木氏が実家)の妹、つまり光秀の義妹と思われる。

●天正元(1573)年までに死んだ可能性が極めて高い濃姫に代わって、信長の妻になったと思われる。注目されるのは、歴史学者の勝俣鎮夫氏(東京大学名誉教授)が御妻木の信長側室説を提唱し、おおむねこの説が研究者の間で受け入れられていることだ。

●御妻木の死が、本能寺の変の引き金になったとの見方が強い。信長と光秀の間をしっかりと結んでいた御妻木という信頼に満ちた糸が、プツンと切れてしまったからだ。御妻木の死から10カ月後、光秀は本能寺に信長を襲撃する。

呉座勇一の『真説 豊臣兄弟とその一族』の中に、「天正9(1581)年には信長の側室となっていた光秀の妹『ツマキ』が病死し、信長と光秀との関係は疎遠になった。これにより秀吉と光秀の出世競争は秀吉優位となり、このことが本能寺の変の遠因になったとも言われる」という一節があり、「ツマキ(御妻木)」という女性が気に懸かっていたが、本書のおかげでスッキリすることができました。