榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

砂漠をさまよう巨大な湖の謎・・・【リーダーのための読書論(8)】

【医薬経済 2007年11月1日号】 リーダーのための読書論(8)

中央アジアの広大な砂漠地帯に広がる長径100kmもある巨大な湖、ロプ・ノール。その湖畔の楼蘭王国は2200年前に歴史に登場し、シルクロードの要衝として栄えたが、5世紀には歴史の波間に没してしまう。楼蘭の消長が、その生命の源泉だったロプ・ノールと密接な関係にあったことは間違いないだろう。楼蘭王国の滅亡を、著者一流のロマン香る想像力で描き上げたのが、短編『楼蘭』(井上靖著、新潮文庫)である。

不世出の中央アジア探検家、スウェン・ヘディンがロプ・ノールの謎を究明するために、40年間も情熱を燃やし続けたことには驚かされる。

1900年、厳しい自然条件と戦いながら2度目のタリム盆地探検を敢行したヘディンであるが、中国の古地図に記されていた地域にロプ・ノールを発見することはできなかった。そこには乾いた湖底と、かってはその湖に注いでいたと思われる河幅100m、深さ4~5mの干上がった河床があるだけであった。しかし、乾いた湖の畔で1600年に亘って深い眠りに沈んでいた楼蘭王国の遺跡を、夜の砂嵐の中で偶然のことから発見している。

そして、彼はそこから遥か南方にあるカラ・ブラン、カラ・コシュンという2つの湖こそロプ・ノールが移動した現在の姿であると考えた。さらに驚くべきことに、やがてロプ・ノールはそこに注ぎ込むタリム河の流れとともに、北方の元の場所に戻るであろうという大胆な仮説を発表したのだ。つまり、ロプ・ノールは1600年を周期として南北に400kmも移動する「さまよえる湖」だというのである。

60歳を過ぎても中央アジア探検への情熱を失わず、再びタリム盆地を訪れたヘディンが、幾多の苦難を乗り越えて、奇跡ともいうべき変化に遭遇したのは、実に1934年の春のことであった。34年前には干上がっていて、ラクダに乗って歩いていったあのタリム河の支流、クルク・ダリヤ(乾いた河)の河床に、滔々と水が流れているのを自分の目で確かめることができたのだ。そして、その河をカヌーで漕ぎ下り、遂に、1600年前と同じ場所に水を湛えている広大なロプ・ノールに辿り着いたのだ。その途中で発見した若い女性のミイラに、彼は「楼蘭とロプ・ノールの女王」という名を贈っている。

こうして自分の学説の正しさを実証する幸運に恵まれた、ロプ・ノール湖上のヘディンの嬉しさはいかばかりであったか。この時の感動が、彼の探検記『さまよえる湖』(スウェン・ヘディン著、関楠生訳、白水社)から生き生きと伝わってくるので、私もヘディン隊の一員になったような気がしてしまう。

ロプ・ノールの謎に挑戦したのはヘディンだけではない。ヘディンのライヴァルともいうべきロシアの探検家・プルジェワルスキーとその弟子のコズロフ、ヘディンの師で、「シルクロード」という言葉の生みの親でもあるリヒトホーフェンなどを忘れるわけにはいかない。ロプ・ノールに関する論争は、尊敬するそれぞれの師の学説の正しさを証明しようという学問上の競い合いでもあったのだ。

2001年と2003年に楼蘭を訪れた地質学者の手に成る『幻の楼蘭 ロプ・ノールの謎』(松本征夫著、櫂歌書房)によれば、現在のロプ・ノールは干上がっているという。しかし、私の心の中には、いつも、豊かな水を湛えたロプ・ノールが青々と広がっている。