榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ミケランジェロは、「カオス(混沌)」を生きようとした芸術家だった・・・【山椒読書論(338)】

【amazon 『ミケランジェロ』 カスタマーレビュー 2013年12月14日】 山椒読書論(338)

ローマのヴァチカン宮殿、サン・ピエトロ大聖堂で、ミケランジェロ・ブオナローティの「ピエタ」に対面した時、妻に促されるまで、かなりの時間、立ち尽くしていた。

こういう魅入られるような作品を制作したミケランジェロのことをもっと知りたくて、『ミケランジェロ』(木下長宏著、中公新書)を手にしたのだが、ミケランジェロと直接向き合うことができた気がする。

しかし、何ということだろう。著者は、私の大好きな「ヴァチカンのピエタ」(24歳の時の作品)にミケランジェロは満足できず、「ダヴィデ」(29歳)、システィーナ礼拝堂の天井画の「天地創造」(37歳)、正面の壁画「最後の審判」(66歳)を経て、遂に「ロンダニーニのピエタ」に辿り着いたというではないか。ミケランジェロは「持続する芸術家」であり、「ミケランジェロは、『ロンダニーニのピエタ』を彫りながら、息を引きとる。その『持続する未完成』のピエタ像には、ミケランジェロが89年の生涯のあいだに、さまざまな方法でとらえようとした『カオスケープ(混沌の光景)』が埋まっている」というのだ。

と言っても、著者が「ヴァチカンのピエタ」を低く評価しているわけではない。「『ヴァチカンのピエタ』には、さらにもう一つ注目しておかなければならない点がある。彫刻造形手法は古代ローマの古典的方法によっているが、主題は、ローマ・カトリック教の聖母マリア崇拝を表現しているということである。古代ギリシャ・ローマとキリスト教の理想が、ミケランジェロの手によって、大きさといい、姿かたちといい、非常に高度な水準で、一体の像のなかに表現されているのである。ミケランジェロの『ヴァチカンにピエタ』は、カトリック教の体系、歴史的本質を、個人の表現のなかに花咲かせた作品である」。

「ミケランジェロが育ち生きていた時代の社会――メディチ家、法王、フィレンツェ共和国、といった支配者の下での社会が要求する共同体は、それぞれに対立し合っており、ミケランジェロはそれぞれのあいだを揺れ動いている」。本書によって、ミケランジェロの作品と人生、そして苦悩に対する理解が格段に深まったが、このような興味深い記述にも出会う。

「ミケランジェロは、五十代に『恋人』と呼んでいい存在が二人いた。一人は、二十代の美青年(だと伝えられている)貴族。もう一人は、ヴィットリア・コロンナというトスカーナに近いペスカーラの侯爵夫人で、未亡人となってローマの修道院に隠(こも)り、詩人でもあり、カトリック教の新しいありかたについて心を砕いていた。彼女が開く集まりへ、ミケランジェロはよくでかけ、彼女と議論したり話し合ったりすることを、とても楽しみにしていた。二人には手紙も書いたが、ミケランジェロの詩は、この二人に関する作がいちばん多い。ほとんど愛の告白のような詩もあるが、そういう愛――それぞれの二人への激しい思いの募りを詩にうたうとき、やはり自分の仕事のことを重ねて考えうたうのだった」。

また、彼の詩の中に「水をぶっかけられたロンバルディアの猫」という表現があるが、「これはレオナルド・ダ・ヴィンチのことを暗に揶揄している。二人は緊張関係にあった」のだ。

「ミケランジェロは、決して一つのところにとどまっていない。つねにいままでの仕事を反省し、考え、未知の表現の可能性を求めて絵を描き彫像を彫っている」。ミケランジェロは、その時の作品に満足することなく、生涯を懸けて自分の作品を深化させていった、偉大ではあるが悩み多き芸術家だったのである。