榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

タレイランの強かさを見倣いたい・・・【山椒読書論(392)】

【amazon 『悪の天才 タレイラン』 カスタマーレビュー 2014年1月16日】 山椒読書論(392)

悪の天才 タレイラン』(長塚隆二著、読売新聞社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、楽しめる一冊だ。

策略を弄するにも、金を儲けるにも、女を口説くにも、粘り強さが必要だと嘯くシャルル・モーリス・ド・タレイラン・ペリゴールの呟きが聞えてきそうな本である。

特権階級と絶対王政に対する一般市民の擁護者として知られていた自由主義貴族、オノレ・ミラボーとタレイランとの水面下の確執については、このように描かれている。「これは、意見の相違とか政争に由来するものではなく、もっと低次元の女性問題が原因であった。ミラボーの愛人ネーラ夫人の閨房で、ミラボーとタレイランがばったり顔を合わせたために感情がごじれたものらしい。『革命という動物小屋の中で、タレイランがねこかへびとすれば、ミラボーはライオンか雄牛である。この二人は、政治上の偽りの友情の原型を示している』。これはサン・トーレール伯爵の指摘である」。互いに相手をうまく利用しようという関係、言わば、腐れ縁であった。

「自分に非がある時は多くを語ってはならぬ、というのが彼(タレイラン)の主義である。あくまで、知らぬ存ぜぬで通す腹であった」。

「しかし、タレイランは落ち着き払っていた。彼の堅忍は、生来の楽天主義によるのかもしれない。どんなことがあっても希望だけは失わないから、くじけるということを知らなかった。とにかく策略を弄するにも、金をもうけるにも、女を口説くにも、ねばり強さが必要なことを、十分に体験していた。『きみの冷静さ、勇気と、この期に及んでの陽気さには、だれもかなわないね』と、ナルボンヌが半ばあきれ顔に感心する程であった」。私などは、タレイランを少しは見倣う必要がありそうだ。

「タレイランもナポレオンと同様に、冷静な現実主義者である。運命によってどんな立場に置かれようとも、そこからなんらかの利を引き出そうと心掛ける人間であった。俗に言う『転んでもただでは起きない』態度を貫いた」。

同時代人のジョルジュ・サンドの、「この人(タレイラン)の心は、高潔な激しい感動を覚えたことが決してなかった。またたゆまず頭を働かせるくせに、誠実という観念だけはその脳裏をよぎったことが金輪際なかった。この人はどこか遠い世界の例外の人物であり、ざらにはいない醜悪な存在なので、だれもがさげすみながらも、愚かしくも賛美の目で彼を見てきた」という評価は厳し過ぎる感があるが、たとえタレイラン本人がこの批判を耳にしたとしても、平然として、意に介さかったことだろう。