榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

一人の優れた読書家の智慧がぎっしりと詰まっている文庫本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(242)】

【amazon 『世界の書物』 カスタマーレビュー 2015年12月2日】 情熱的読書人間のないしょ話(242)

今年の秋は木々の色づきが今一つのようですが、31年前の12月2日の東京・神宮外苑のイチョウ並木はこんなふうでした。

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閑話休題、書斎の本棚に収まっている『世界の書物』(紀田順一郎著、朝日文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、色褪せた付箋で山嵐のようです。私がこの本を初めて手にしたのは26年前のことですが、それ以来、どの古典を読むべきか悩んだとき、どんなにお世話になったことでしょう。「本書は東西の古典86点についての大筋をとらえ、その読みどころや興味深いエピソードを紹介したエッセイ集で、いいかえればクラシックな書物に関する簡潔なノンフィクションであることを期している」。

例えば、「『黄金の国』紹介 『東方見聞録』」は、このように紹介されています。「マルコ・ポーロは1254年生まれである。日本では、その2年前に鎌倉の大仏が完成し、日蓮の布教活動がはじまろうとするころにあたる。13世紀半ばといえば、ヨーロッパに日本の正確な情報が伝わらなかったとしても、むりではない。例の『黄金の国』チパングの伝説も、その典型である。・・・マルコ・ポーラのもたらしたこの『黄金伝説』が、長いこと日本のイメージを決定した」。

「黄金伝説」もですが、より興味深いのは、マルコが厚遇を受けた元のクビライ(フビライ)の後宮の美女選びに関する箇所です。「『カーンはこれ(4皇后)以外にも多数の妃妾を持っているが、いかなる方法でこれを選取し、どのようにして彼女たちを御するかを述べてみよう』――要約すると、美人評価の判定人がいて、2年くらいに1度、美人の産地から4、5百人の女を狩り集め、20単位で評価をつける。第1次合格者を重臣の妻にあてがって同床せしめ、処女であるか、いびきをかかないか、息は臭くないか、不快な体臭はないか、などをくわしく調べる。最終合格者は6名ずつ3昼夜にわたってカーンの寝所に侍り、その意のままに身を任すのである・・・」。

「無言の声援 『百科全書』」は、こう書き出されています。「『百科全書』の編著者ドニ・ディドロ(1713年~1784年)は、一口にいって情熱の人である。女性関係一つを例にとっても、10代の末期から数人の女性を愛し、30歳で仕立屋の娘と駈け落ち結婚したうえ、その翌年にはもう文学志望の人妻を情婦にするというぐあいだった。晩年の60歳ごろにも若い愛人をもち、彼女のあとを追うように世を去っている。ルイ15世の寵姫ポンパドール夫人や、ロシアのエカテリーナ2世からも好意を寄せられた。といっても、これは恋愛ではなく、彼の生涯を賭けた『百科全書』に関して援助をうけたという意味だ。旧体制に寄食する彼女らが、フランス革命を準備したといわれるほどの書物を支持したということは、ディドロの人間的魅力を抜きにしては考えられない」。

「孤立した死 『審判』」には、意外なことが記されています。「私は(フランツ・)カフカのもう一人の友人で、すぐれた理解者であるウィリー・ハースの言を思い出した。彼は大要つぎのように言っている。――カフカだけが『審判』や『城』のような作品の中で、自分たちの青春の世界を要約し、再構成している。これらの作品を読んだときに、自分の青春の慣れ親しんだパノラマを読むような気にさせられた。いかなる町の片隅、いかなる隠微な暗示でも、すぐ自分にはそれとわかるほどだ。だから自分には、カフカについての実存主義的なエッセイなど理解できない。カフカの世界的名声というものも、一種の滑稽感を呼びさまさないではおかない。プラハに生まれなかったような、そして1890年か1880年ごろに生まれなかったような人が、カフカを理解しうるとは到底思えない。『審判』や『城』の環境というものを現実に知らない人にはただこの地方的な小さな世界のうちに、そしてそのような小さな世界によって存在しているまったく濃密な形而上的な類推というものも、本当にはわからない。カフカは閉鎖的なオーストリア的=ユダヤ的なプラハの秘密である。カフカの世界的名声というひねくれた誤解の累積が減って、自分たちが彼という友人をとり戻すことができたならば、それこそが最大の喜びである・・・。このユダヤ・ナショナリズムには反感をもよおす向きもあろうが、カフカをいきなり世界文学としてとらえず、地方文学としてとらえなおすことにより、その『像(かたち)』が、より具象化してくるということもいえるのである」。

500ページの文庫本に、一人の優れた読書家の智慧がぎっしりと詰まっているのです。