榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本列島へのヒトの渡来は3段階でなされたという仮説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(310)】

【amazon 『日本列島人の歴史』 カスタマーレビュー 2016年2月27日】 情熱的読書人間のないしょ話(310)

散策中に、釣り鐘状の非常に濃い桃色の花が満開のヒカンザクラを見つけました。セイヨウカラシナも黄色い花を咲かせています。ウメ(白梅)も頑張って香りを漂わせています。因みに、本日の歩数は14,704でした。

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閑話休題、『日本列島人の歴史』(斎藤成也著、岩波ジュニア新書)は、中学生、高校生を対象としていますが、大人の知的好奇心も満足させるレヴェルを備えています。

本書の特徴として、●4万年に亘る日本列島人の歴史が江戸東京時代(400年間)から平安京時代(800年間)、ヤマト時代(600年間)、ハカタ(弥生)時代(1200年間)、ヤポネシア(縄文+旧石器)時代(3万7000年間)へと過去に遡る形で記載されていること、●弥生時代の開始時期、邪馬台国、神武東遷、綏靖天皇から開化天皇までの欠史八代など学界で論議されている問題について、著者の意見・立場がはっきり表明されていること――を挙げることができます。

また、私たち日本列島人にもネアンデルタール人のゲノムが伝わっている可能性、デニソワ人のゲノムも少しながら伝わっている可能性、さらに、北京原人やジャワ原人のゲノムも伝わっている可能性に言及しています。

「千島列島と樺太には、かつてアイヌ人が住んでいました。その他の日本列島には、大昔から現在まで、3種類の人々(ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人)が住んでいます。また、そこに住みつづけてきた人間とその文化はおおきく3種類にわかれるので、それにしたがって日本列島を北部(樺太、千島列島、北海道<蝦夷島>を中心とした地域)、中央部(本州、四国、九州を中心とした地域)、南部(奄美大島から与那国島まで連なっている奄美諸島、沖縄諸島、先島諸島の地域)とわけることにします」。

著者は、日本列島中央部におけるヤポネシア時代の年代区分をこのように考えています。これも時代の新しいほうから古いほうへと遡って記載されています。「●縄文時代:1万6000~3000年前=○晩期:3400~3000年前、○後期:4400~3400年前、○中期:5500~4400年前、○前期:7000~5500年前、○早期:1万1500~7000年前、○草創期:1万6000~1万1500年前、●後期旧石器時代:4万0000~1万6000年前=○後半期後葉:1万8000~1万6000年前、○後半期前葉:2万8000~1万8000年前、○前半期:4万0000~2万8000年前」。

著者の専門である分子人類学の直近の成果を踏まえ、「日本列島人形成の3段階渡来モデル」を提唱しています。「●第1段階――約4万年~約4000年前(ヤポネシア時代の大部分)。第1波の渡来民が、ユーラシアのいろいろな地域からさまざまな年代に、日本列島の南部、中央部、北部の全体にわたってやってきました。・・・●第2段階――約4000年~約3000年前(ヤポネシア時代末期)。日本列島の中央部に第2の渡来民の波がありました。彼らの起源の地ははっきりしませんが、朝鮮半島、遼東半島、山東半島に囲まれた沿岸域およびその周辺だった可能性があります。第2波渡来民の子孫は、日本列島中央部の南側において、第1波渡来民の子孫と混血しながら、すこしずつ人口が増えてゆきました。一方、日本列島中央部の北側と日本列島の北部および南部では、第2波の渡来民の影響は、ほとんどありませんでした。●第3段階前半――約3000年~約1500年前(ハカタ時代とヤマト時代前半)。ハカタ時代に入ると、朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から、第2波渡来民と遺伝的に近いながら若干異なる第3波の渡来民が日本列島に到来し、水田耕作などの技術を導入しました。彼らとその子孫は、日本列島中央部の東西軸にもっぱら沿って居住域を拡大し、急速に人口が増えてゆきました。ヤマト時代になると、中国からも少数ながら渡来民が来るようになりました。日本列島中央部の東西軸の周辺では、第3波の渡来民およびその子孫との混血の程度が少なく、第2波の渡来民のDNAがより濃く残ってゆきました。日本列島の北部と南部および東北地方では、第3波渡来民の影響はほとんどありませんでした。●第3段階後半――約1500年前~現在(ヤマト時代後半以降)。第3波の渡来民が、ひき続き朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から移住しました。それまで東北地方に居住していた第1波の渡来民の子孫は、6世紀前後に大部分が北海道に移ってゆきました。その空白を埋めるようにして、第2波渡来民の子孫を中心とする人々が東北地方に居住してゆきました。日本列島南部では、グスク時代の前後に、おもに九州から第2波の渡来民の子孫を中心としたヤマト人が多数移住し、さらに江戸東京時代には第3波の渡来民系の人々も加わって、現在のオキナワ人が形成されました。日本列島北部では、ヤマト時代後半から平安京時代の初頭にかけて、北海道の北部に渡来したオホーツク人と第1波渡来民の子孫のあいだの遺伝的交流があり、アイヌ人が形成されました。平安京時代以降は、アイヌ人とヤマト人との混血が進みました」。

日本語についても考察されています。「日本語は、いつごろ日本列島で話されるようになったのでしょうか。わたしは、3段階渡来モデルのなかの第2段階の移住者こそ、原日本語を日本列島にもたらした人々ではなかったかと考えています。この仮説にしたがえば、それ以前の日本列島で話されていた言語の大部分は原日本語に置き換わってしまい、唯一アイヌ語が、ヤポネシア時代のきわめて古い時代からの言語の系統を残している可能性があります。一方、DNAでは弱いながらアイヌ人との共通性が見出されたオキナワ人は、それまで話していた言語から、グスク時代の前後に日本列島中央部からもたらされた古代日本語におきかわり、その後琉球語として発展していった可能性があります」。

学界で行われている論戦における各説をいろいろ紹介はしても、自分の説を明瞭に語ることの少ない類書の中で、本書の自説表明度は際立って高く、好感が持てます。