榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

阿久悠の作詞術だけでなく、彼の戦略や仕事術も学べる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(546)】

【amazon 『「企み」の仕事術』 カスタマーレビュー 2016年9月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(546)

神奈川の箱根山は濃い霧の中でした。霧に霞む景色に、私はなぜか心惹かれます。山峡(やまかい)を走る箱根登山鉄道は風情があります。7色に変化する東京・お台場のパレットタウン大観覧車、ライティングされた東京スカイリツリーは東京の夜を感じさせます。

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閑話休題、気に入ったこの歌謡曲の作詞家はだれだろうと思って確認すると、そのほとんどが阿久悠なのです。阿久悠はどうしてこれほど人の心を惹きつける詞を紡ぎ出すことができるのか、その秘密に迫りたくて、『企み」の仕事術』(阿久悠著、KKベストセラーズ。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を手にしました。

「作詞家としての創作も楽しかったが戦略を練るのも同時に楽しかった。創作と戦略が一体になって、どうすれば大きなムーヴメントになるか、時代の騒ぎになるかということを常に考えていた」。

「結果的に当初の戦略から離れていったが、結果が良ければそれは成功といえないか。僕は思惑通りには進まなくても、一度、その道に乗せてしまえば、それが本来向かうべき方向だったと認識することの、企画のおもしろさと怖さを改めて実感した」。

「企画、プロデュース、作詞の全般に関わったケースの代表はピンク・レディーだ」。

「作詞家として売れるということ、作品論ができるということ。この二つは別の評価だと思う。僕は作詞家としての仕事を作品論として評価してもらえるのがいちばんうれしい」。

「かっこよさとみっともなさは表裏一体で、単にそのときのその人の顔つきとか振る舞い方ひとつで、どっちと見られるかも変わってくる。どっちに見られるかは、自分の意図では選べない種類のもので、こちらがかっこいいつもりでやっているのがみっともなく見えることもあるし、また、逆の場合もある」。

「『ジョニィはその後、どうしたのでしょうね』。実際には歌の中には登場しないのに、なぜか、その面影が心に残る男がいる。その男はどのような男だったのか。また、どのような生活をしていたのだろうか。聞いた人にとっては気になる存在だったらしく、同じような質問を何人かからされた記憶がある。本当にジョニィはどうしたのだろう」。

「僕の描く女性は決して男に隷属しない、男に抱かれながらも他のことを思うような女が多い。男と関係することで、生活を共にする、つまり、結婚とか一緒に暮らすとかいう方向にはなかなか行きにくいのが特徴だ。男に左右されない女。それは、おそらく僕以前の歌謡曲には登場したことのないタイプだったと思う。これは、時代の流れとも重なって、ある程度受け入れられた女性像である。ところが、不思議なことに同じ状況で、男が女を抱きながら他のことを考えたりすると、それは誠実でないということになるらしいのだ。僕にとってはいささか不公平に思える」。

「僕の描く男と女の恋愛は生活とはまったく別のものになっている。つまり、男として女を養うことや、女として男に尽くす、という生活の中で生まれる『男と女の依存関係』とは違う次元で、恋愛関係が成り立っているものがほとんどである」。

「仕事は不思議なもので、どんなに見えない努力や工夫も見る人はしっかりと見ている。手を抜いていることは瞬時にわかる。だから、僕はそこまで望まれてはいないものでも、自分のために、常に相手の期待よりも上を行く成果を出そうとする」。

「歌詞の中で切り取られた別れの場面というのは過去と現在と未来が一点に集まる。それはとても広がりのある瞬間ではないかと思う。『こんなことがありました。でも、今はもうお別れしましょう。明日、あなたはどうしているの?』。これだけで、昨日・今日・明日を書けてしまう。ひとつの歌詞の中で大河ドラマだって作れるのではないか」。

「コミュニケーションの訓練不足は、逆からいうとNOといわれることに慣れていない人間がたくさんいるということを意味する。そんな人が仕事に関わって、作ったものにダメ出しが入ると、もう自分を全否定されたような気持ちになってしまう。もちろん、もの作りの人間として、精魂込めて作って『どうだ!』と出したものが否定されて返ってくるのが我慢できないという気持ちはわかる。こういう場面も慣れていけば、そのNOの理由が善意や好意なのか、それとも拒絶や悪意なのかということは読めるようになってくる。コミュニケーション力も場数をどれだけ経験を踏んだかによって大きな違いが出てくる。簡単にNOといってしまえば、コミュニケーション力を養う貴重な機会を狭めているということは知っておくべきだろう」。

「歌詞は青森駅に降り立つ女の遠景から入る。それから、海鳴りを聞く無口な人々が描写され、3ブロック目で初めて鴎を見つめて泣く『私』がクロースアップされる。そして、カメラは一気に引いて、冬景色の津軽海峡を映し出す。この曲は非常に映像的で、2コーラス目ではさらに主人公の女の脇を通りかかるエキストラまで登場している。サビのところで一気にヒロインの感情が描き出されるのは、1コーラス目と同様だ。こんな風にカメラ割りを考えながら、映画のように風景を描いていくのが僕のやり方だ」。

私の好きな歌の歌詞が生まれた経緯を知ることができるだけでなく、阿久悠の戦略を含めた仕事術も学べるお得な一冊です。