榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

外山滋比古が勧める「風のごとく読む」読書法とは何だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(631)】

【amazon 『乱読のセレンディピティ』 カスタマーレビュー 2016年12月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(631)

散策中に、女房が木々を見上げながら、「見かけない小さな鳥がいっぱいいるわよ」と囁きました。初めて見る鳥なので、野鳥に造詣の深いFさんにメールで尋ねたところ、「エナガです。脇腹がピンク色で、体の半分以上が尾です。可愛いでしょう。女性の好きな鳥、ナンバー・ワンです。この時期は群れでいることが多いですね。シジュウカラ、メジロと混群でいます。リーダーはエナガなんて言われています。先頭にいるからでしょうか」という回答が得られました。あちこちでハクセキレイの幼鳥を見かけました。因みに、本日の歩数は10,592でした。

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閑話休題、『乱読のセレンディピティーー思いがけないことを発見するための読書術』(外山滋比古著、扶桑社文庫)は、この著者らしい逆説に満ちた、読書を巡るエッセイ集です。

例えば、速読と遅読について論じた件(くだり)は、こんなふうです。「『10分間で1冊読みあげる法』を教えるなどという広告をときどき目にする。マに受ける人もあるらしいが、多少とも本を読むのに苦労した人間はハナもかけない。そんなに速く読めるものかと反発する。そんなに速く読めるようなのは読むにあたいする本ではないと遅読派は考える」。ここまで読むと、著者は速読を戒めていると思い込んでしまいそうです。

ところが、著者はそう単純な人物ではないことが、徐々に分かってきます。「必要以上に、慎重に、ということは、ゆっくり、丁寧に読むべきものという意識にとりつかれる。つまり、読む速度がおそすぎることになるのである。おそいのが丁寧なのではなく、ことばに底流する意味の流れをとめてしまい、意味を殺して、わかりにくく、おもしろくないものにしてしまう、ということがわからないことが多い。したがって、スピードをあげないと、本当の読みにはならない。10分間で1冊を読了という電光石火の読みは論外だとしても、いま考えられている読書のスピードでは、ことばの生命を殺しかねない。やみくもに速いのはいけないが、熟読玩味はよろしい、のろのろしていては生きた意味を読みとることはおぼつかない」。

じゃあ、どうすればいいのだ、と聞きたくなります。「風のごとく、さわやかに読んでこそ、本はおもしろい意味をうち明ける。本は風のごとく読むのがよい」。この結論には、私も大賛成です。

著者は乱読を勧めています。「乱読はジャンルにとらわれない。なんでもおもしろそうなものに飛びつく。先週はモンテーニュを読んでいたがちょっと途中で脱線、今週は寺田寅彦を読んでいる。来週は『枕草子』を開いてみようと考えて心おどらせる、といったのが乱読である。ちょっとやそっとのことでは乱読家にはなれないのである」。乱読家の私には共感できる文章です。

乱読の効用は。このように説明されています。「一般に、乱読は速読である。それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。乱読の効用である。・・・本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティ(思いがけないことを発見する能力)であると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。それが、この本の(著者の)考えである」。

他にも、『源氏物語』や『枕草子』の同時代のテクスト、稿本が残らなかった理由、乱読ならぬ乱談(専門が異なる数人が集まってのお喋り)の勧め――など、山葵の利いたエッセイが目白押しの一冊です。