榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『武鑑』『養生訓』『八犬伝』が江戸時代のベストセラーになった理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(860)】

【amazon 『江戸のベストセラー』 カスタマーレビュー 2017年8月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(860)

赤い花のヒガンバナが群生しています。黄色い花のショウキズイセン(ショウキラン)、白い花のシロバナマンジュシャゲが交じっています。シロバナマンジュシャゲはヒガンバナとショウキズイセンの自然交雑種と言われています。橙色の花を付けたキバナコスモスが風に揺れています。因みに、本日の歩数は10,125でした。

閑話休題、『江戸のベストセラー』(清丸惠三郎著、洋泉社)では、江戸時代のベストセラー12作品が俎上に載せられています。

とりわけ興味深いのは、松会三四郎の『武鑑』、貝原益軒の『養生訓』、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』です。

「『武鑑』は江戸時代に出版された大名家および幕府役人の名鑑で、時代とともにその発行者は代わるものの、17世紀中頃から慶應3(1867)年10月14日の大政奉還まで200年以上にわたって刊行され続けた江戸のロングセラーだ。御三家をはじめとする大名家の情報を集約した『大名付』と大老、老中以下の幕府役人の情報を集約した『役人付』からなり、例えば大名付ならば、各大名家の本国、系図、藩主氏名、紋所(定紋と副紋)、江戸上・中・下屋敷の場所、江戸家老、留守居役の氏名から大名行列における道具(槍や長柄傘)、駕籠、挟箱(着替えを納めておく箱)の位置までが図入りで解説され、『役人付』にしても、役職、役高に続いて名前、紋所、官位、屋敷の場所などが適宜、記されている。全4巻で500丁(1000ページ)におよぶ『大武鑑』からダイジェスト版まで、その形態にもさまざまなものがあったが、とくに懐や袂に入れて携帯できる一冊ものの『略武鑑』は、江戸市中を練り歩く全国各地の大名行列見物の必携書として、また参勤交代で江戸に訪れた地方武士の代表的な江戸土産として人気を博したという」。

「(各大名家にとって)役務の遂行に、幕府諸役人はもとより、他の大名家との円滑な交渉、早期の情報入手が欠かせなかったのはいうまでもない。そのためのツール、重要な人事情報を掲載した実用書として『武鑑』が生まれたわけである」。著者は、『武鑑』は定期的に改訂された江戸版『会社四季報』と見做しています。

『養生訓』は、「正徳3(1713)年というからいまから300年あまり前、まだ日本に近代西洋医学が本格的に伝わる前の、江戸時代がようやく中期にさしかかろうという頃に書かれた。にもかかわらず、当時、多くの人に手に取られたというだけでなく、いまもって健康読本として少なくない人に真剣に読まれ、そこに書かれていることが実践に供されている」。

「数え84歳に達した益軒は、この年、(妻の)看病生活の中で満腔の力を振り絞り『養生訓』を書き上げ、翌年夏には『大疑論』を書き上げると、8月27日ついに帰らぬ人となった」。社会学者・加藤秀俊は、『養生訓』は「精神の問題を含んだ保健医学の啓蒙書」と位置づけています。

「(現代の歴史時代小説や歴史伝奇小説を)読みながらふと思うのは、構想の雄大さ、ストーリー展開の鮮やかさ、背景にある歴史知識の豊富さ、登場する人物の多彩さなどを見る限り、200年ほど前に書き始められた滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』には、まだまだ遠く及ばないなということである」。

「67歳の時に右目を失明し、さらに『八犬伝』の原稿がいよいよ大詰めを迎えようという74歳になると完全に両目とも見えなくなった。丁子屋平兵衛や番頭は、聞き書きで何とか完結までもって行こうと、代筆のできる者を次々紹介してきたが、相手に難があったり、馬琴のほうが嫌われたりで、結局、第三者による聞き書きは行き詰った。そうした状況で、聞き書きを自ら希望したのが、嫁のお路であった。すでに彼女は寡婦になっていたが、滝沢家の家政一切は彼女が切り回す以外に無くなっており、また彼女自身が漢文漢語の知識があるわけでもないことから、馬琴は無理だろうと思ったようである。しかし本人が、やるといって聞かない。・・・こうした激闘ともいえる日々を経て、天保12(1841)年8月20日、『南総里見八犬伝』は完結に至ったのだった」。

個人的には、高齢の益軒、馬琴の頑張りに大いに励まされました。