榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日露戦争から太平洋戦争までの大日本帝国の盛衰を絵はがきで振り返る試み・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1229)】

【amazon 『絵はがきの大日本帝国』 カスタマーレビュー 2018年9月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(1229)

散策中、赤と黄のコントラストが鮮やかな葉のハゲイトウを見かけました。サフランモドキ(ゼフィランサス・カリナタ)が桃色の花を咲かせています。赤紫色、赤色、黄色のオシロイバナが芳香を放っています。花弁のように見えるのは萼です。因みに、歩数は10,975でした。

閑話休題、『絵はがきの大日本帝国(カラー版』(二松啓紀著、平凡社新書)には、北清事変(義和団の乱)、日露戦争から日中戦争、太平洋戦争に至る大日本帝国の諸々を描いた絵はがき390点が収録されています。

膨張を繰り返し、遂に崩壊に至った大日本帝国の栄枯盛衰の歴史を、絵はがきを通じて読み解こうという著者の目的は、十分に達せられています。「絵はがきが描く世界はイメージに過ぎない。ある時代から断片のように切り取った『事実』だとしても時には嘘や演出も混じる。写真や絵の説明も正確ではない。発行者の『見せたいイメージ』と購入者の『見たいイメージ』が重なり、さらには検閲者の制約が加わって絵はがきの世界が創り出されてきた。その上で郵便によって人から人へと流布し、一種のマスメディアとして機能してきた。しかし、同時に絵はがきが描いていない世界は多い。例えば、軍部台頭のきっかけとなった五・一五事件と二・二六事件は一切登場しない。朝鮮の三・一独立運動や台湾の霧社事件に至っては痕跡すら残っていない。そうであったとしても『大日本帝国』の一断面を捉える上で重要な資料になり得るだろう。そんな特性に留意しながら、本書では同時代の人びとが見てきた『大日本帝国』のイメージを読み解いていきたい」。

例えば、日露戦争に関する絵はがきは、このように説明されています。「戦場となった舞台は朝鮮と満洲であり、日露両国にとっては異国の地だ。『露兵掠奪』(を描いた絵はがき)では、ある一家が荷物を肩に担いで必死に逃げようとする一方で、ロシア兵は断じて許さない。銃を携える一人の兵士が『待て』とばかりに荷物に手をかける。もう一人は抵抗する男性に左手を振り上げる。今にも殴りかかろうとする勢いだ。女性の両手には赤ん坊がいる。戦争の犠牲者は誰なのか。そんな疑問を抱かせる場面でもある」。

消費社会の幕開けを三越に見ることができます。「古い呉服店のイメージを刷新し、新たな購買意欲を駆り立てた。また、三越は写真館や食堂、音楽室などを兼ね備え、明治末期の段階で現代人が思い描くデパートとほぼ変わらない店舗を確立した。三越は顧客サービスも徹底していた。富士山と桜と鳩を背景にした絵はがきから最先端の販売戦略が窺える」。

関東大震災の惨状は見るに堪えません。「1923年9月1日午前11時58分、巨大地震が首都圏を襲う。・・・9月1日午後4時過ぎ、最大風速70メートルとも推定される凄まじい火災旋風が巻き起こった。たちまち家財道具に燃え移り、超過密状態にあった避難民が逃げ場を失う。一瞬だった。一酸化炭素中毒と高温によって多数の命が奪われ、犠牲者は約3万8000人に及ぶ。東京全体の死者は約7万人だ。この半数以上が(避難場所とされた)被服廠跡で亡くなったのだ。『東京被覆廠跡累々たる死体』はこの世に現れた地獄の光景だった」。

「被服廠跡の惨劇と並び、吉原遊郭でも悲劇を招いた。『吉原弁天池の焼死体』のような絵はがきが残る。弁天池の周囲に人集(だか)りが見え、水面に浮かぶ無数の焼死体が写る。震災直後、火災が発生したにもかかわらず、遊郭の主人は遊女が逃げるのを恐れて廓内に押し込めた。・・・弁天池は『200坪』に過ぎない。池の中で身動きが取れなくなり。もがき苦しんだ。溺死者の上に溺死者が覆い被さり、吉原公園の死者は490人を数えた。そんな結末がこの絵はがきだった」。

「(1925年に公布された)治安維持法は国体(天皇中心の国家体制)の変革や私有財産制を否定する活動を取り締まる法律だった。本来は共産主義だけを対象とし、適用範囲は限定的だったが、宗教、右翼思想、自由主義にも広がり、単なる政府批判までもが含まれた。・・・極めつけともいえる反思想の一枚がある。日本が豪華な御馳走を食べようとする。その名前として、『クロポキン酒』(革命思想家クロポトキン)や『共産主義』、『マルクス』『虚無思想』の言葉が並ぶ。正体はすべて『消化せぬ悪食』だ。口にしたら体調不良を起こす。オチは赤い『クロポキン酒』の隣に置かれる飲み物『○○主義』だ。『主義』と名の付く思想は一切合切禁止、主義主張のない国民こそ理想だといわんばかりだ。しかし、現実の治安維持法は絵はがきのように甘くはなかった。・・・その後、拡大解釈が繰り返され、1945年10月15日に廃止されるまでの間、逮捕者は数十万人、送検された者は7万5681人(起訴5162人)、警察署で虐殺された者は95人、刑務所・拘置所での虐殺・暴行・発病などによる死者は400人余に上った」。2013年12月13日に公布された特定秘密保護法が治安維持法と同じ道を辿る危険性を内包している点が憂慮されます。

太平洋戦争は、銃後の女性や子供も否応なく巻き込んでいきます。「赤いリボンの愛くるしい少女を描いた慰問用の絵はがきがある。大きな大砲の弾を小さな両手に抱えながら『銃後は私の手で』と『増産又増産』を訴える」。

大日本帝国憲法下の大日本帝国の負の面が印象に残りました。