榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

明治初期に日本の奥地を旅行した英国人女性の足跡を辿って分かったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1236)】

【amazon 『新にっぽん奥地紀行』 カスタマーレビュー 2018年9月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(1236)

ワタが黄色い花を咲かせています。この種類は、実の綿毛から茶色の木綿が作られるそうです。ノシランが白い小さな花を穂状にたくさん付けています。センニチコウの赤紫色の球状の花が目を惹きます。因みに、本日の歩数は10,801でした。

閑話休題、『新にっぽん奥地紀行――イザベラ・バードを鉄道でゆく』(芦原伸著、天夢人)は、明治11(1878)年に日本の奥地を旅行したイギリスの女流紀行作家、イザベル・ルーシー・バードの足跡を辿ったものです。

「(バードの)『日本奥地紀行』は、江戸(東京)から日光東照宮へ、さらに会津地方、新潟、米沢盆地をめぐり、羽州街道を経て、蝦夷地(北海道)へ渡った旅の記録である。辺境の旅は2カ月に及んだ。時の日本は明治維新からわずかに10年、日光街道は旅籠、茶店などあり、ほぼ開けていたが、その先のみちのくはまだ江戸時代そのものだった。通訳兼案内人の18歳の青年を連れて、外国人女性のひとり旅は困難を極めた。原題の『Unbeaten』は『未踏』の意味で、実際、この当時、この道をたどった外国人は誰ひとりとしていなかった。47歳という身を思う時、よほどの情熱と強い意志がなければ達成できなかったに違いない」。

「バードは、会津坂下で当時の日本人の特性を讃えている。殻らは好奇心に溢れ、外国人を知りたい欲求はあるが、決してモノを奪おうとしたり、侮辱したりはしないこと。馬子にしても客への努力は惜しまないが、その代償としてチップをもらおうとしない潔癖性があることを伝えている。<ヨーロッパの国の多くでは、またたぶんイギリスでもどこかの地方では、女性がたったひとりでよその国の服装をして旅すれば、危険な目に遭うとまではいかなくとも、無礼に扱われたり、侮辱されたり、値段をふっかけられたりするでしょう。でもここではただの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかけられたこともないのです>」。

「バードが泊まったのは、(山形の上山の)湯町のはずれ観音寺に近い会津屋だったといわれる。会津屋は当時一、二を競った旅館で、300年の歴史ある老舗だった。・・・女将は小太りの美人で、11人もの子供があり、そのなかの品のいい娘はバードが『上山一の美女』とスケッチした。子を背負い、少しはにかんだような娘は、飾り気なく、凛としていて、確かに心を動かす魅力があふれている。日本の明治時代の美女とはかような女性だったのか、と思う。それまで上半身裸で、泥まみれで働く農家の女性を見てきたバードには、着物を着込み、帯を締めた可憐な娘は、さぞ新鮮に思えたことだろう。宿の女将も親切で、活発で、バードを近くの神社や外湯に案内した。この宿でバードは蔵に泊まり、ゆっくり温泉に浸かることができた」。この「上山一の美女」に限らず、本書に収録されているバードの写実的なスケッチは、いずれも彼女の観察力と描写力のレヴェルの高さを示しています。

「この時代、英国はヴィクトリア朝で、未知の大陸の探検熱が高まっていた。西欧の学界ではアイヌはコーカソイドではないか、という定説があり、極東アジアに生きながらえる希少な白人系の民族として注目されていた。バードが未踏の北海道にこだわったのは、実はアイヌの実情報告を早く母国に伝えたい、という野望があったからだ」。「(アイヌは)素朴な未開人であるが、正直で、人には優しく、とても丁寧で、自然な優美さがあり、とバードは讃えている。とりわけ低く歌うように語る声の響きに魅了された。それまで出会ったどの和人よりも、バードはアイヌを愛していることが分かる」。当時のヨーロッパでは、その彫りの深い風貌や毛深いことからアイヌはコーカソイド(白人系)と見做されていたのです。ヨーロッパ人は、東洋の果てで、今まさに消えていこうとしているアイヌに、自分たちと同じコーカソイドという親近感と同情を抱いていたのです。

興味深いことが記されています。「バードは進化論者の(チャールズ・)ダーウィンとも交流があった。バードは当初、アンデスに行こうと思っていたが、日本行きをすすめたのはダーウィンだった」。