榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

これまで、さまざまな恋愛小説を読んできたが、それらを超える感動に包まれました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1484)】

【amazon 『天皇陛下のプロポーズ』 カスタマーレビュー 2019年5月13日】 情熱的読書人間のないしょ話(1484)

プリンセス・ミチコというバラは、当時の美智子皇太子妃に捧げられたものです。

テレビに皇太子の婚約者として正田美智子さんが映し出された時、当時、中学2年の私は、息が止まるような衝撃を受けたことを鮮明に思い出します。この世に、こんなに健康的で、聡明そうで、気品に満ちた美しい女性が存在するとは信じられなかったからです。

天皇陛下のプロポーズ』(織田和雄著、小学館)を読みながら、何度も胸が熱くなり、涙がこぼれてしまいました。

本書では、平成天皇が皇太子だった時、皇太子の2学年下のテニス仲間であった著者が、昭和33(1958)年10月27日から、婚約内定発表が行われる4日前の11月23日までの1カ月弱、皇太子と正田美智子さんとの間の秘密の電話取り次ぎ係を務めたことが綴られています。その回数はおよそ20回に亘りました。

本書に出てくる「ポケ」は著者・織田和雄の、「チャブ」は皇太子の、「ミッチ」は美智子さんのニックネイムです。

昭和32(1957)年8月19日、長野・軽井沢の軽井沢会テニスコートで開催されたテニス大会のダブルスの準々決勝で、皇太子のペアは美智子さん+カナダ人少年のペアと対戦し、敗けてしまいます。「(試合を終えて)陛下はタオルで汗を拭きながら、『あんなに正確に粘り強く打ち返してくるのだから、かなわないよ。すごいね』と、おっしゃいました。その表情に悔しさは微塵もなく、夏の強い日差しのもと、むしろさばさばとした爽やかさに満たされているように感じられたのです。陛下にとって、この日出会った正田美智子さんの、テニスに取り組むまっすぐな姿勢と、決してあきらめない試合ぶりは、好ましい印象として強く残ったのではないでしょうか。私から見てもコートの中の正田美智子さんは、常に一生懸命で若い青春の躍動感に溢れていました。そしてコートから離れると、清楚な気品を漂わせる稀有な美しさの持ち主でした。軽井沢で夏を過ごす同世代の若者たちの多くは、そんな美智子さんを高嶺の花として遠くから見ていたように思います。言葉を交わすことはおろか、目を合わせることさえできない、まさに当時の軽井沢では評判のマドンナだったのです」。

10月27日、東京・調布で開かれたテニス大会のミックスダブルスで「初めてペアを組まれた陛下と美智子さまは、和やかにテニスの試合を楽しまれ、会話も弾んでおられました」。

翌年の5月、「私が、美智子さまに寄せる陛下のお気持ちに、はっきりと気づいたのは、(テニス大会の)数日後、陛下からあることを頼まれた時です。『正田美智子さんを誘って、東京ローンテニスクラブでテニスを一緒にいたしませんかと尋ねてみてほしい』と陛下がおっしゃいました。『陛下は彼女に関心を持たれたのだな』と、すぐにピンときた私は二つ返事で快諾し、5月中に2度、美智子さまをテニスにお誘いして、東京ローンテニスクラブでミックスダブルスの試合を行いました」。

5月24日、来日中のイラン皇太子との親睦テニスのミックスダブルスで「美智子さまは、難しいホステス役を見事にこなし、その場にいた人たちが絶賛するほどの出来栄えだったそうです。海外の要人への接遇は、皇室の一員としての大事な務めの一つです。・・・美智子さまがその期待に見事にお応えになられたことで、陛下の中でぜひ美智子さまをお妃に・・・という気持ちが一段と強まったのではないでしょうか。この出来事以来、美智子さまこそ皇太子妃にふさわしい方だと、私も考えるようになっていきました」。

5月から7月にかけて、「美智子さまをテニスに誘ってほしいというご依頼は、陛下から週に1回くらいの割合でありました」。

8月10日、「軽井沢会テニスコートで、陛下とご一緒にテニスの練習をした日のことです。陛下は清宮さまとともにコートにお出ましになり、複数の友人とテニスを楽しまれました。そのメンバーの中に、美智子さまもいらっしゃったのです。練習の跡、陛下が私に、『正田さんを誘って一緒にお茶をしましょう』と提案されました。・・・4人で入ったのは、地元の喫茶店でした」。

「陛下の大きな決断を後押ししていたのが、教育係を務めていた小泉信三先生であったと、後で判明致しました。・・・そういった理想の結婚について小泉先生と議論をされ、考えを深められたのだろうと拝察いたします。軽井沢のテニスコートで初めて会った日から、およそ1年。昭和天皇のお許しという最大の味方を得て、あとは陛下と美智子さまの、ご意思のみとなったのですが、しかし、実際はこれからが大変でした」。

「美智子さまが海外へ旅立たれてから、お二人が接触される機会は絶たれていました。・・・長い外遊を終えて、美智子さまが帰国されたのです。翌日の10月27日のことです。私は日中、友人とテニスの試合をして、夕方近くに家に帰ってくると、陛下から一本の電話がかかってきました。『すまないけど、これから正田さんのところへ電話をかけて、僕のほうに直接、電話をしてくれるように伝えてもらえませんか?』。私は言われた通り、美智子さまに電話をしました。・・・この日、日記の片隅に、私は『チャブ~ミッチ』と記しました」。

10月28日、「陛下から、『正田美智子さんを皇太子妃に迎えたいので、君に電話の取り次ぎを頼みたいのです』ということを率直におっしゃったように思います。・・・東宮仮御所に伺って陛下からお話を聞いたこの日、私は日記にこう記しました。『夜チャブのところ訪問 本心を聞く』。以降、およそ1カ月の間、陛下が公務で東宮仮御所にいらっしゃらない日を除けば、毎日のように、美智子さまとの間で、電話を取り次ぐようになったのです」。

「美智子さまの不安を取り除こうと、恐らく陛下は電話越しに言葉を尽くしてお気持ちを伝えられていたのでしょう。(正田家の)ご家族の反対の中にあって、美智子さまは苦しい胸の内を抱えていらっしゃったのではないかと察します。・・・当時、一般家庭から皇室に入ることは、国民のほとんどが想像もしていない事柄で、もしそのような事となれば、生涯を捧げるほどの大きな覚悟が必要とされたはずです。・・・そして家族会議を終えて、東京に戻られた翌日(11月4日)の朝でした。美智子さまから私のもとに電話が入りました。そのお声はいつになく、少し憔悴されているように感じました。美智子さまは、こうお話し下さいました。『実は、殿下にお手紙を渡したいのですが・・・』。この頃、マスコミの取材活動がさらに激しくなり、正田家の界隈は報道陣が常に待機していました。・・・この日の日記に、私は次のように記しています。『朝 ミッチと電話 1時頃 正田夫人に会い 手紙をうけとる』。・・・その夜、陛下から美智子さまに電話を取り次いでほしいと連絡が入りました。日記には、『夜 チャブ ミッチ 電話』と記しています」。

11月8日、「陛下は、『なかなかうまくいかないんだ』と、美智子さまからよいお返事を頂けない状況をお話しになりました。・・・(その後、意を決したかのように電話で1時間、美智子さまと話された陛下は)心の底から満足されている表情で、私に一言、こうおっしゃいました。『話しちゃったよ』。きわめて印象的な一言でした。・・・その日の日記には、こう書き記してあります。『夜チャブのところ訪問 ミッチに電話 大体よくなってきたことがわかる』。・・・陛下は最後まであきらめず、自ら決めた理想の伴侶、美智子さまの心を開き、辛抱強く払拭しきれない不安や逡巡を取り除かれてきました。その過程を知る私は、一つの大きな山を越えられたお二人が、幸せになってほしいと願う気持ちでいっぱいになりました」。

「私は平成5(1993)年1月23日の夜、両陛下からお電話を頂いた際、その時の真実を美智子さまご本人からお聞き致しました。・・・あの日、陛下は電話で、『YESと言ってください』と強く押されたそうです。・・・最後に陛下は以下のような言葉を、はっきりと伝えられました。『公的なことが最優先であり、私事はそれに次ぐもの』。・・・その上でどうしても結婚して頂きたいという、嘘偽りのない真っ正直で、誠実な陛下のお言葉と熱意。この言葉に美智子さまは心を動かされ、結婚を決意されたのではないかと思っております。電話で美智子さまと話しながら、私は大切なことだから忘れてはならないと思い、紙に記しました。この時のメモには、こう書いてあります。『公的立場を守らねばならぬから 守りきれないかもしれない 心を動かされたし、自分が行かねばならないと思う様になった 柳行李の日のデンワ イエスと言って下さいと強く言はれ、イエスとなった』」。

11月11日、「私は、お二人の間に、信頼と愛情の温かなお気持ちが、確かなものへと高まっていく手ごたえを感じました」。

宮内庁長官から正式に正田家に婚姻の申し入れを行い、お受けするという回答が得られたと発表があった11月21日、「軽井沢会のテニスコートで初めて会った日から1年3カ月を経て、さまざまな困難を乗り越え、陛下は聡明で美しい一人の女性への、一途な思いをついに成就されたのです。この日、陛下から私に電話が入り、『ポケ、御所に来てくれませんか?』と聞かれました。・・・御所の応接間で陛下と二人、日本酒で乾杯。・・・私が、『おめでとうございます。よかったですね』と申し上げると、陛下は、『いろいろありがとう』と、おっしゃいました」。

2日後の11月23日、「私は最後の電話取り次ぎを行いました。・・・役目を終えた私は、万感の思いを胸に、この日、日記にはこう記しました。『朝 チャブから電話で 一応 片が付いたからとの お礼の電話』」。

これまで、さまざまな恋愛小説を読んできたが、それらを超える感動に包まれました。