榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

簡にして要を得たフランス史の最高の教科書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1531)】

【amazon 『フランス史』 カスタマーレビュー 2019年6月28日】 情熱的読書人間のないしょ話(1531)

千葉・柏の「柏の葉公園」の池で、カルガモの群れにマガモが1羽、交じっているのに気がつきました。冬期にはたくさんいたマガモたちは今や北へ去り、残っているのは、この1羽だけです。もしかしたら、マガモとカルガモの交雑個体(マルガモ)かもしれないと思い、千葉・安孫子の「鳥の博物館」の齊藤安行館長に問い合わせたところ、これはマガモの雄で、こういう北へ帰らないケースもあるとの回答が得られ、スッキリすることができました。ノカンゾウ、スカシユリ、シベリアという品種のユリ、ハイビスカス、メラレウカ・スノー・イン・サマーの花、ポップ、トマトの実をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,762でした。

閑話休題、『フランス史』(ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴェニー著、鹿島茂監訳、楠瀬正浩訳、講談社選書メチエ)は、3.9cmの厚さの中に、先史時代からフランソワ・ミッテラン政権までのフランスの歴史が盛り込まれています。フランス文学の専門家でフランス歴史に造詣の深い、本書の監訳者・鹿島茂が、一人の著者の手になるフランス通史が一冊にまとめられた例は、本書が初めてと述べています。

読み始めた途端に、鹿島の言うとおり、簡にして要を得たフランス史の最高の教科書であることを実感することができました。

太陽王と呼ばれたルイ14世の後を継いだのは、僅か5歳のルイ15世でした。「この善良ではあるが、なかなか策略にも長けていた健康な老人(=司教でルイ15世の教育係のフルリー)と若い国王とのあいだには、祖父と孫のあいだに見られるような不思議な愛情の絆が存在していた。ルイ15世はフルリーにたんなる国務大臣の資格で統治を委ねていたが、この国務大臣にはすぐに枢機卿の称号が与えられている。フルリーは権力の座についたとき、すでに73歳であったとはいえ、1743年に死を迎えるまで権力を維持しつづけた。この長期にわたる大臣在職期間中に、フランスにもっとも必要とされていたものがもたらされた。国内的には社会の安定と財政の健全化であり、対外的には慎重でおおむね平和的な外交政策である」。

「『それでは、これからは私が宰相を務めることにしよう』。フルリー老枢機卿の死を知らされたとき、ルイ15世はそう語ったと伝えられている。実際、王は33歳で、国王の務めを完全に果たすのにふさわしい年齢を迎えていた。・・・(しかし、やがて)いやいやながら国務に取り組み、退屈をまぎらわすために週に何度も狩猟に夢中になり、それ以外にも建築物の造営、宴会、巡幸といった、あらゆる類の費用のかかる気晴らしを求めてやまなかった」。

「王のもうひとつの大きな情熱の対象となったのは女性たちである。・・・幾人もの身分の高い女性たちを愛人にした後、王の情熱は金融ブルジョワジー出身の若い女性、ジャンヌ・ポワソンに集中的に注がれるようになった。ルイ15世は彼女をポンパドゥール侯爵夫人(正しくは女侯爵)とし、ヴェルサイユの王自身の住居の階下に住まわせている。美貌と才気の持主であったポンパドゥール夫人は、文芸と芸術を愛し、作家たちを励まし、芸術家と職人たちに仕事を与えていた。彼女の後援のもとで、宮廷生活は華々しい輝きを放つようになった。20年間にわたり(1745~64年)、彼女は王の遊興担当相であっただけではなく、政治上の主要な助言者でもあり、大臣や将軍や大使たちの任命や罷免をも左右することのできる権力者であった。ポンパドゥール夫人は肺結核に身体を蝕まれ、1764年、まだ若くしてこの世を去った」。

フランス革命を経て、皇帝ナポレオンが誕生します。「ひとりの人間の手中に、これほどまでに絶対的な権力が集中されたことは、フランス史上かつてなかったことであった。迅速で透徹した注意深い知力と、超人的な活動力を兼ね備えていたナポレオンは、どれほど小さな細部にも目を光らせずにはいなかった。彼の意志は臣下のなかにどのような反論も抵抗も許そうとはしなかった。大臣であれ将軍であれ、彼らは伝達と実行をつかさどるたんなる手足のような存在にすぎなかった。そんな臣下たちのなかで、2人の人物だけが個人的な政治方針を貫く力を有していた。外交におけるタレーランと、警察組織におけるフーシェである。フーシェは、近代史上初めての警察国家の監視網をフランス中に張りめぐらせている。公的な資格を有するとともに、身分を秘して行動する情報提供者たちのネットワークが作られ、『キャビネ・ノワール(郵便物検査室)』は私的な郵便物をチェックし、検閲はすべての印刷物、新聞を対象として強化され、新聞はパリで4つに制限された。検閲は演劇の上演にも及んでいる。皇帝の命令、あるいは警察大臣の命令、さらには知事の命令だけでも、いずれかの人物を逮捕、もしくは指定した住居内に監禁することが可能であった」。

「(エルバ島に流されていた)ナポレオンはパリに戻ったが、議会内の自由主義的勢力からの敵意と警察大臣フーシェの陰謀によって、もはやどうすることもできなかった。6月22日、彼は退位し、帝位を息子に譲ろうとしている。フーシェは5名からなる臨時政府の首班となり、ルイ18世にとって自分が必要な人間となるように策をめぐらせた。彼はルイ18世による王政復古が不可避であると考えていたのである。・・・彼(フーシェ)は急遽サン・ドニに向かい、ウェリントンの後についてきていたルイ18世とタレーランを相手に交渉を開始している。こうしてルイ18世は、(自分の兄)ルイ16世の死刑に賛成した男を大臣に迎えることを承知したのだった」。

世界史の中で私が最も興味を抱いている政治的人間、ジョゼフ・フーシェにこれほど紙幅が割かれているとは、嬉しい限りです。

ナポレオンの甥、ナポレオン3世の治世は、このように評価されています。「またしても帝政が成立したという事実からは、ナポレオン1世がフランス国民の意識のなかに残していった深い痕跡の存在が明らかであった。彼の甥は、はじめは権威主義的な秩序の回復を図ったのち、少しずつ自由主義的で議会主義的な君主政の方向へと進みはじめる。この微妙な方向転換の成功は、数ある独裁的政治体制の歴史のなかでもほとんど唯一の例外的なケースであった。とはいえナポレオン3世の最大の功績は、これまでフランス経済の近代化を妨げていた数々の障害を打破し、フランスに輝かしい繁栄をもたらしたということである」。

ナポレオン3世の失脚後、登場した第三共和政は、このように説明されています。「第三共和政は状況ゆえの妥協の産物であった。しかしこの政体はけっきょくのところ、1789年以来フランスに登場したすべての政体のなかでも、もっとも順応性に富み、もっとも持続性のある政体であるということが明らかとなった」。