榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ダ・ヴィンチ、ガリレイの売り込み自薦状、ニュートンの魔法使い願望・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1903)】

【amazon 『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿』 カスタマーレビュー 2020年6月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(1903)

ハスの花の下方の葉の上に、ブォー、ブォーと牛のように鳴くウシガエルの雄がいるではありませんか。コシアキトンボの胸部が白いのは雄、黄色いのは雌あるいは未成熟の雄です。クマバチ(キムネクマバチ)が吸蜜しようと、ラヴェンダーの周りを飛び回っています。

閑話休題、『ガリレオの求職活動 ニュートンの家計簿――科学者たちの生活と仕事』(佐藤満彦著、講談社学術文庫)は、著名な科学者たちの実像に迫る意欲的な試みです。

「科学者」という職業が成立する19世紀初めまでの研究者の生活は経済的に苦しく、パトロンに頼らざるを得ませんでした。そういう時代のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ガリレオ・ガリレイの自薦状、パトロンから独立可能となった時代のアイザーク・ニュートンの俗物ぶりが、とりわけ印象に残ります。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)が30歳の1482年に、当時イタリアのミラノ公国の君主ルドヴィコ・スフォルツァに送った自薦状は、よく知られています。「彼は、戦時においては、陸戦であれ海戦であれ、敵を攻撃し味方を防御するあらゆる武器の製作者、軍事技術家として、また平時においては、建築・絵画・彫刻を自由に引き受ける芸術家として、自分を手元においておけばきっと役に立つだろうと主張して、売り込んだわけである。だが、科学の基礎研究をしたい、という本音はおくびにも出さなかった。科学は実用性がより重く見られる、という古今東西を通じての宿命のようなものが、この自薦状から感じとれる」。

ガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)は、ガリレイが姓、ガリレオが名で、ガリレイ(複数形)家の長男のガリレオ(単数形)を表しています。ガリレイは1610年の5月7日にトスカナ大公国の首相に1通の手紙を書いています。「まず、自分がこの地(ヴェネチア共和国)で終生1000フロリンの年俸を約束されており(これは望遠鏡を共和国首相に献呈することによって実現したといわれる)、教育上の負担もそう大きくないことを強調する。しかし、下宿屋や学生の個人教授というアルバイトが研究の妨げとなっており、なににも煩わされない自由な時間が欲しい。これを賜ることができるのは、メディチ家の大公をおいてほかにはない。それゆえ、メディチ家お抱えの『数学者・哲学者』として取り立てて欲しい。給料については君公に仕えるだけでも名誉なことだから、多くは望まない、と書きそえた」。

ガリレイについては、もう一つ、重要なことが記されています。「世間の多くの人は、ガリレオが異端審問所で異端の判決を受けたとき、『それでも地球は動いている』と呟いたという話を知っているにちがいない。しかし、これは伝説であって史実ではないことをまず銘記していただきたい。大科学者ガリレオを、暴虐にもかかわらず真実を曲げなかった英雄として扱うのには、もってこいのつくり話なのである。しかし、ガリレオを大科学者の列に加えさせているものは、科学者として真理を擁護したという道義的規範ではなく、あくまでその科学上の達成の高さなのである」。

アイザーク・ニュートン(1642~1727年)の偉大な科学的業績は、誰もが知るところです。「ポーランドの聖職者コペルニクスは宇宙を見る新しい視点を与え、イタリアの異端の知識の師ガリレオはその方法を示した。このような新しい視点と方法に護られながら、当時知られている限りの物理的宇宙に関して包括的な説明を与えたのがアイザーク・ニュートンである。科学の歴史で、ただ一人がなしえた知的偉業がこんな高みにまでとどいた例を探すのはむずかしい。しかもきわめて短期間に、かつまた豊富にである」。

ところが、日記や書簡や蔵書などの資料から、ニュートンの暗い面も明らかにされてきています。「このような資料からわかってきたニュートンの暗い面として、『晩年は錬金術の研究に没頭した』『いたずらに地位を欲しがり、中央政界にも足を踏み入れたがった』『一時期、精神錯乱に陥った』『権威を笠にきて同僚との諍いを絶えずひきおこした』など、いろいろなことが指摘されているのである」。

「有名な経済学者ケインズは、競売にかけられた(ニュートンの)遺品の半分を苦労して回収し、それを熟読した結果、『ニュートンは卑金属を貴金属に変えようとする魔法使い(錬金術師)になろうとしていた。彼は近代科学の創設者ではなく、中世科学の最後に咲いた徒花(あだばな)だった』という結論に達した」。

こういう角度から科学史を眺めるのも、なかなか乙なものです。