小保方晴子、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルバート・アインシュタインはコミュニケーション障害者だった・・・【続・リーダーのための読書論(57)】
コミュニケーション障害
他人と会話することに苦労する人々を「コミュニケーション障害(コミュ障)」ということが多いが、『コミュ障 動物性を失った人類――正しく理解し能力を引き出す』(正高信男著、講談社・ブルーバックス)の著者はもっと範囲を広げて考察している。「たとえば、自分の主張を一方的にまくしたてるものの、周囲の発言にはまったくといっていいほど聞く耳を持たない。周囲の雰囲気を察することもなく、まったくマイペース(いわゆる空気が読めない輩、ひと昔前にKYといわれた人々)。他人に対しては、気持ちを察することなく歯に衣きせずに思うことをズケズケいうくせに、少しでも自分に都合の悪いことをいわれると、すぐにキレる人。すごく思い込みが激しく、他人のいうことにまったく関心を示さない人。もうおわかりだろう、みなさんの周りにも一人や二人、思い当たる人は必ずいるはずだ」。
その代表者として、小保方晴子、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルベート・アインシュタイン、南方熊楠が挙げられている。「彼女(小保方)自身が、STAP細胞の存在に露ほどの疑いもさしはさんでいなかったからである。つまり彼女の瞳が澄み切っていた。だから研究所の誰もが、彼女の報告を信じた。でも彼女の本当の技能は、さほどのものではなく、ふつうならSTAP現象を示唆する結果が得られても『私のような人間に可能な発見ではない』と報告を躊躇するところを、彼女はそういうためらいを感じることは微塵もなかった。それどころか大発見だと認識した途端、信念の人と化し、その証明にいちずに向かった。いったんこうと思い込むと、それに対する否定的な情報は一切、眼中から消え去る。それこそコミュ障の人の特徴の一つである」。
コミュ障の人に対する誤解
自分がコミュ障であることに悩む人が増えている。さらに、引き籠もってしまう人すら少なくない。しかし、これは誤解だというのだ。「コミュ障の人は、社会性が劣っている。社会性は人間が社会を営む上で、不可欠の資質である。その資質が劣るのだから、彼ら彼女らは人間性について、そうでない人より欠ける点があると思っていないだろうか。じつは、そうではない。むしろコミュ障の人間こそが、他の動物より進化した人間として、もっとも人間的な存在であるかもしれない」。周囲に対する配慮や遠慮といった感情に影響されることなく、自分が重要と考えるテーマに冷徹に向き合い、成果が得られるまで没頭するコミュ障の人こそ、歴史上の大発見・大発明を成し遂げる可能性が高いというのである(ただし、小保方のケースは名誉を追い求めるあまり、失敗を成功と言いくるめようとしたことに問題があった)。
コミュ障の人へのアドヴァイス
著者は、「ひきこもるというのは必ずしも不適応と言い切れない。生活スタイルの一つの選択肢なのである。だから周囲との交流がなくとも、『○○博士』と呼ばれるように、特定のテーマに熱中して日常を送れるようなら、それはそれで敬意を払われる生き方に違いない」という立場だが、コミュ障や引き籠もりの状態から脱出したいと願っている人およびその周囲の人への具体的な処方箋にも言及している。