榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

島津斉彬急死の真相、孝明天皇急死の黒幕・・・【薬剤師のための読書論(16)】

【amazon 『薬で読み解く江戸の事件史』 カスタマーレビュー 2015年11月13日】 薬剤師のための読書論(16)

薬で読み解く江戸の事件史』(山崎光夫著、東洋経済新報社)は、薬をキーワードに江戸時代の事件や人物を浮かび上がらせた裏面史である。

かねて、島津斉彬の急死は暗殺なのではないかと関心を抱いていたので、「島津斉彬怪死事件の謎を解く――幕末の歴史を変えた『英明の君主』の死」を興味津々で読み始めた。

「島津28代藩主島津斉彬は、幕末の開明藩主として、『三百諸侯中、並ぶ者無き英明の君主』と高く評価されている人物である。この英明藩主は、時代を担うエースとして期待され、人望も力量もあったものの、安政5年(1858)に急死してしまう」。

「その死はあまりにも唐突に発生した。時が時である。斉彬が病床に臥す原因となったのは、『島津斉彬公傳』にある通り、天保山で行なわれた大操練に炎天下、馬を走らせ陣頭指揮をとったことである。大操練の目的は、大老、井伊直弼の暴走をやめさせるためだった」。

斉彬の異腹の弟・久光を藩主にしようと画策する一派による毒殺が疑われているが、著者の見立ては意外なものであった。斉彬の治療に当たった蘭方医・坪井芳洲による克明な「容態書」を読み解くことで真相に迫っていく。

「蘭方医だけあって、芳洲は西洋医学的薬物を用いた処置を施している」。芳洲は、当時流行していたコレラと診断したが、著者の見解は異なる。「芳洲の『容態書』から想像するに、病気は赤痢が最も疑われる。・・・さらに、食中毒、なかでも腸炎ビブリオが疑われる」。芳洲の臨床医としての腕はよくなかったこと、芳洲も斉彬も漢方医学を忌み嫌ったこと――が、斉彬の死を招いたと結論づけている。経験を積んだ熟練の漢方医であれば救えたかもしれないというのである。

これまた、毒殺説のある孝明天皇の急死については、「幕末期・孝明天皇怪死の謎を解く――天然痘から急死へ、容態書を読み解く」に詳しい。

「誰かが毒性の強い痘瘡ウイルスの付着した『美しい布』を天皇に押し当てたにちがいない。種痘経験のない温室育ちの天皇はたちまち痘瘡に罹患して病床に呻吟した。かくして、(公武合体を阻止しようとした)暗殺一派の計画は成功した。いや、成功したかに見えた。ところが、天皇の発病6日後に紫雪という名の薬が処方されてから、痘瘡は治癒に向け順調に推移し始めたのである。紫雪は解毒効果の高い名薬だった」。

ところが、天皇の容態が急変する。『孝明天皇紀』、主治医だった伊良子光順の『拝診日記』、『中山忠能日記』などの病状報告の記述から、「天皇の病状の急変を検証すると、毒物を盛られて暗殺された可能性が高い」と結論づけている。そして、使用された毒物は斑猫(はんみょう)だったろうと推理している。「毒物――というよりこれは中国の古医学書にも載っているツチハンミョウ科の昆虫だった。カンタリジンという刺激性の毒物を体から分泌する。・・・少量を用いれば薬になる。しかし、この斑猫を大量に飲まされたなら、腹痛、下痢、吐血、血尿、血圧低下、呼吸不全などの症状をきたし死に至る。孝明天皇の一連の症状と符号する。これには解毒効果の高い、さしもの名薬、紫雪も用をなさなかった」というのである。