モノクローム写真と文章が静かに響き合う随想集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(141)】
今朝、大変なミスを犯していたことに気が付きました。一昨日、私が渡した名刺に記載されているメール・アドレス宛てにメールを打ったが届け先不明で送信不能となってしまうとの連絡があったのです。何ということでしょう。名刺に間違ったメール・アドレスを載せているではありませんか。直ちに名刺を作り直しましたが、愚かな私を慰めるかのように、アサガオが最後の花々を咲かせています。
閑話休題、『誰をも少し好きになる日――眼めくり忘備録』(鬼海弘雄著、文藝春秋)は、日本の下町やインド、トルコをこよなく愛する写真家・鬼海弘雄のモノクローム写真と味のある文章が静かに響き合い、独特の世界が紡がれていく随想集です。
「気化する猥談」は、こんなふうです。舞台はインドの隣国・バングラデシュです。「町が途切れると、通りの傍に大きな溜め池があった。アオコが覆う池を半周すると濡れた地べたに座った女の人たちが、ジュートから繊維を取っていた。池に沈め腐らせた植物は甘酸っぱい匂いを漂わせ、女たちの傍らには、真っ白な芯の繊維が積まれていった。その中の美しいひとりの娘にカメラを向けると、中年女が大きな声で娘をからかった。十人ほどの女たちも作業の手を休めず娘を茶化した。次々と笑いが連鎖し弾けた。彼女たちの表情豊かな話しぶりには、おおらかで野性的な性のにおいがたっぷりとした。久しぶりに、乾いた健康的な『猥談』を聞いた気がした。人類はこのような開放的な性の舟を延々と乗り継ぎやって来たのだろう。女たちの許を離れた時には、しばらくあの奇妙なホテルに留まり、この裸の町にのんびりと滞在してみようと決めていた」。
トルコが舞台の「カリンをもらった日」では、著者の思いが語られています。「昔から放浪を繰り返してきて覚えたのは、安楽で快適な時間は記憶に何の痕跡も残さないということだ。むろん、切り詰めたひとり旅では、そんな快適さとは無縁だが、辛くない旅など少しも意味が無い、と居直っている。私がリュックを背負って歩き回っているのは、いい写真を撮りたいという正体の曖昧な熾(おき)が心で燻っているせいだ」。「バス停までの帰り道、天辺にリンゴが数個残った木のある家のガラス窓が突然開き、老婆が身を乗り出して私に向かって何かを大声で叫んでいる。身振りから、ストーブで暖をとってひと休みしていけという誘いだと判った。靴を脱いで部屋に入ると、老婆は紅茶と自家製ヨーグルトとオリーブの漬け物を振る舞ってくれた。ストーブの周りには、老夫婦とその息子夫婦、孫娘たちが座っていた。女たちは絨毯に胡座(あぐら)をかいて編み物をしていた。窓辺の桟には何個ものカリンが並んでいた。たがいに『コトバ』が解らなかったが、たくさんのことを植物のように話した。老婆は帰り際にカリンを一個くれた。自然を相手に質素に暮らす人々はなんであんなにもやさしいのだろう、と思いながら雪が舞う中をこころを温められて帰って来た」。
「時間を映す影」の舞台は日本です。「呑み屋の入り口で、唇の端を弛ました友人におどろくなよと伏線を張られた。お通しを持ってきたおかみに大企業の部長をしている友人が『オカアさん、歳を教えて・・・』と天気でも訊くように言った。薄く紅を差した口許が『関東大震災の年の生まれで九十になったよ』と答えた。その歳でなお矍鑠としているのに驚かされた、しかも、八十七の亭主はカウンターの中で黙々と柳刃包丁で刺身をひいている。こぢんまりした呑み屋だが、夫婦だけで取り仕切っていた。肝腎な料理も斟酌なしに美味しく、夫婦の出身地の北海道から取り寄せる食材も吟味されているのにもたまげた。老夫婦の立ち居振る舞いに見とれ酔わされた」。