榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本人は、なぜバッシング、いじめ、ネットリンチを引き起こすのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(275)】

【amazon 『他人を非難してばかりいる人たち』 カスタマーレビュー 2016年1月12日】 情熱的読書人間のないしょ話(275)

2016年1月7日付の朝日新聞・夕刊を見て、目を瞠りました。アウシュヴィッツ強制収容所で、餓死刑に処せられる男性の身代わりになることを自ら申し出て、47歳で死んだポーランド人のカトリック司祭、マキシミリアノ・コルベの餓死室での絵が掲載されていたからです。想像図でなく、同囚のポーランド人画家の手になるものだけあって、これほど真に迫ったコルベの姿は見たことがありません。なお、生前のコルベは日本でも布教活動を行っています。

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閑話休題、『他人を非難してばかりいる人たち――バッシング・いじめ・ネット死刑(リンチ)』(岩波明著、幻冬舎新書)は、私たち日本人の精神構造、社会構造を考えるヒントを与えてくれます。

本質的に私たち日本人は他人の不幸や残酷な仕打ちを受けるのを見たいのだと、その事例を挙げています。「ネット住民たちは、バッシングすべき対象が見つかれば、相手はだれでもよい。ただ、他人を徹底的に攻撃することが、心地よいのである」。

著者は、攻撃する人たちに共通する傾向として、他人を糾弾するとき、自分は完全無欠な「神」だと錯覚している――ことを指摘しています。「攻撃する側の『品格』や『人格』は、どうなのであろう? 自分たちはそれほど真っ白で品行方正なのだろうか」。

日本でこのような攻撃が頻発するのは、なぜなのでしょうか。「自虐的に述べてみると、『バカでヒマ』なわれわれは、自らの現実に不満足になりやすい傾向を持ち、不寛容な心持ちで他人のアラ探しにセイを出しては、いっときのウサを晴らしている」と、辛辣です。「現在の日本人に欠けているものがあるとすれば、それは『智慧』であり、『教養』である。日本人は『不寛容』であるが、一方で、だまされやすく乗せられやすい。『智慧のあるように見える人』には取り込まれやすく、その結果、ネット上でも、現実世界でも、『根拠のない流行』が蔓延することとなる」。

さらに、心理の奥に分け入っていきます。「嫉妬は、『嫉妬する相手』の置かれた状況や得たものをうらやむことから始まる。・・・たいていの場合、嫉妬は、微妙な差異から生じる。わずかしか差のないはずのライバルや、あるいは自分より格下と思っていた後輩が、私生活で幸運を手にしたとき、あるいは立派な仕事上の業績を打ち立てたとき、嫉妬心抜きで、すなおに相手を称えることのできる人はそう多くはないように思える。・・・このため、多くの場合、嫉妬の対象は、身近な人物となる」。

「メインタリティが類似している日本人においては、みなが同じような嫉妬心を抱きやすい。こうした点が、学校や職場における集団による陰湿な『いじめ』や『ハラスメント』につながりやすいように思えるし、ネット上の激しいバッシングの一因にもなっているのだろう」。

続いて、自分の時間を削ってまで他人を非難する人たちを駆り立てるものは何なのかが考察されています。「この『不寛容』という現象は、ある意味、現在の日本社会を特徴的に表しているように思える。世界中を見渡しても、不確実な情報しか存在しないにもかかわらず、社会全体が一丸となり一方的に個人の行動をバッシングするという図式は、この日本において特別目立つ現象である。・・・注意する必要があるのは、多くの日本人は自分たちが特別な存在であることに気が付いていない、あるいは、特殊であることを認めようとしない点である」と、警告を発しています。「学校の問題で言えば、いじめや不登校が蔓延しているのは、他国でも皆無ではないが、日本独特の現象である。思春期から中高年に及ぶ引きこもりも重大である。自殺の問題はいまだに見逃せないし、過労死や過労自殺は、他の先進国にはほとんど存在していない現象である」。

これらの日本特有の現象を改善する具体的な処方箋も併せて示されていればと感じるのは、望蜀だと言われてしまうかもしれませんね。