戦災孤児・海老名香葉子の、親戚をたらい回しされた少女時代・・・【情熱的読書人間のないしょ話(278)】
散策中に、遠くからでしたが、アオジとシロハラを写真に収めることができました。キジバトは悠々と餌をついばんでいます。カルガモが水浴びをしていました。カモたちがたくさん群がっています。因みに、本日の歩数は17,277でした。
閑話休題、『私たちの国に起きたこと』(海老名香葉子著、小学館新書)では、テレビで知っている明るい海老名香葉子からは想像できないような、悲惨な前半生が語られています。
「1945年3月9日から10日にかけての東京大空襲で祖母、父、兄たちと共に亡くなった母。戦災孤児となった私。あの日以来、どれほど家族が恋しかったことか」。生き残ったのは、何と11歳の著者と直ぐ上の兄との二人だけでした。著者は親戚をたらい回しされ、苦難の日々を強いられます。その上、親戚に両親の財産も横取りされてしまいます。
「3月9日夜から10日未明にかけて、一晩で10万人以上が亡くなりました。そして、その火は遺体までも焼きつくし、生き残った者たちは家族の遺体すら見つけられずに苦しむことになるのです」。
「今日、寝るところはあるかしら。明日、食べるものはあるかしら――。終戦後はそんな心配ばかりをする日々でした」。
「『おまえなんか死んでくれればよかったのに』。おばさん(父の姉)がヒステリーを起こすたびに、私は『本当に死んじゃえばよかった』と思いましたが、その都度、母の言葉を思い出しました。『かよこちゃんは明るくてとっても強い子だから大丈夫よ。いつも笑顔でいてね』。そうだ、悲しい顔をせず、笑顔でいれば、きっとおばさんもやさしくしてくれる」。
生家の焼け跡で、偶然、同級生の女の子に出会います。「当時、私たちはまだ12歳。それにも拘わらず、春をひさいで父親を食べさせている同級瀬がいることに衝撃を受けました」。
あちこちで働いた著者は、間もなく17歳の誕生日を迎えようという頃、父の商売の馴染客であった3代目三遊亭金馬の家で働くことになります。「何度も『よかった、よかった』といって私が生きていたことを喜んでくれた人は、戦後、金馬師匠が初めてでした」。その金馬が薦める林家三平と結婚したのは、著者18歳、三平26歳の時のことでした。
「戦争はいい人を悪い人に変えてしまう。だから戦争は嫌い。戦前とは手の平を返したように態度が変わってしまった大人たちに会うたび、子ども心にそう思いました。今でもそう思います。戦争が人を変えてしまうのです。でも、私は人に絶望してはいません」。
「世界中でどれほどの命が、戦争で失われたことでしょう。世界中でどれほどの子どもが、どれほどの人が、戦争で苦しみ、泣いたことでしょう。どんなことがあっても決して戦争をしてはいけない。戦争の悲しみや無惨さを伝えていくことが、私のように生き残った者の使命だと思っています」。「戦争を知らない世代が、またあの不幸を絶対に繰り返さないために」。悲惨な体験を味わった著者の言葉だけに、切実さが籠もっています。