水上勉らしさが感じられる味わい深いエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(302)】
散策中に、ツグミをカメラに収めることができました。ツタにくっついたオオカマキリの2つの卵鞘が孵化する春を待っています。因みに、本日の歩数は10,374でした。
閑話休題、『<完本>閑話一滴』(水上勉著、PHP文庫)は、水上勉らしさが感じられる味わい深いエッセイ集です。
「工夫のよろこび」には、こんな一節があります。「人間というものはおかしなもので、便利重宝な物に心をうばわれはするけれど、日に型をかえて売り出される商人の造作物よりも、自分で工夫してつくったものの方に、もうひとつのよろこびが裏打ちされているものだ。こっちの方がいいにきまっている。愛着というものは、便利さにあるのではなくて、心をつくしたことにある。わたしはいま、あたりまえのことをここで書いているのだが、じつは、そのあたりまえのことが忘れられた時代のような気がする」。
所々に添えられているスケッチは、折に触れて、著者が散策の途次に描いたものだそうです。
「欲について」では、自分を厳しく見詰めています。「来年はかぞえで70になるのに、ますます欲がふかまる自分にあいそがつきつつある。死に近づくのだから、何もそんなに物や地位を欲しがらなくてもと思わぬ日はないではない。けれども、死に欲というような、おそろしい欲望が誰にでもあるのかどうか。ぼくの胸の中を、チャックをあけて見せたいほどだ。黒いコールタールのような欲がうずまいて、今日も汚い、明日も汚いにきまっている。・・・来年は、少し欲をけずりたい。真剣に思う。喰いものも、知識欲も、すわっている座蒲団も、何でもかでも半分ぐらいにしてみたい」。
「絶対安全とはいわれているものの、いったん事故があれば、京都、大阪まで死の放射能をまきちらしてまきぞえにしてしまう、原発炉を、(若狭の)一村に4基も抱かねばならないのか、と不思議に思うのである」。「昨今は、その死がぼく自身に迫っている。若狭の在所に、15も原発が集中し、そのどまん中に、図書館を建てて、書斎をつくったせいもある。考えることは死だ。いつ大事故に見舞われても、悠々と死んでゆける気持ちを育てていなければならない。といって凡夫ゆえに、なかなかその境地に辿りつけない。これからの生き方の根にそれがいつも鉛いろの泥のように滲みてくる」。著者がこの文章を綴ったのが27年前ということに驚かされます。