榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

自分たちの人生を理解しようとする試み、それが「物語」だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(408)】

【amazon 『偶然を生きる』 カスタマーレビュー 2016年6月4日】  情熱的読書人間のないしょ話(408)

我が家の庭では、青色、水色、淡桃色、白色のガクアジサイたちが咲き競っています。

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閑話休題、『偶然を生きる』(冲方丁著、角川新書)では、「物語」を巡る著者独自の考え方が展開されています。

「物語」とは、人間が自分たちの人生を理解しようとする試みであり、「物語」をどう俯瞰し、どう理解するかを考える上で重要なキーワードとなるのが、「偶然」と「必然」だというのです。「偶然性を必然と感じること、感じさせることが、人間が行なう物語づくりの根本になっているのです。・・・物語づくりとは、そうした偶然のリアリティを差し替えたり、動かしたり、改変したりしていく作業だともいえます。人は誰でも偶然を生きている。その偶然を考えていくことは、物語の本質を突きつめていくことになるとともに、物語にあふれた世の中で、どう生きるべきか、本当の幸福を掴むにはどうするのがいいのか、といった道筋を探すことにもつながっていくのです」。

著者は、経験を4つに分類しています。「第1の経験が『直接的な経験』――五感と時間感覚です。第2の経験が『間接的な経験』――これは社会的な経験ともいえます。第3の経験が『神話的な経験』――超越的な経験であり、実証不能なものがほとんどです。第4の経験が『人工的な経験』――物語を生み出す力の源です。この分類は、私なりのやり方です」。著者が言っているとおり、彼の考え方は他人の見解の受け売りでなくユニークなので、知的好奇心を掻き立てられるのです。

「スピリチュアルな本などにしても、第3の経験に特化した話ではなく、第2の経験や第4の経験を組み替えただけのようなことが書かれている場合が多いものです。そうしたものは、社会に対抗しようとするのではなく、迎合しようとしているだけになっているのがかつてと大きく異なります。どの国であっても、昔の神秘主義者たちは、いつ民衆や支配者に殺されるかわからず、みんな命懸けでした」。全く、同感です。

「自分の五感をまったく新しく磨き直すと、それまで見ていた景色が違うものに見えてくる。同じ日常のはずなのに、まるで違って感じられる。そのエネルギーを、人間は誰もが欲しています。そのエネルギーを得ること自体が生きる意味やモチベーションになることもあるし、そのことが報酬にもなります。自分が生きていること自体が幸福となり、報酬と報酬にまつわる因果関係すべてが一体化するわけです。第1の経験の本来あるべき姿を取り戻す、再生の行為といっていいのかもしれません」。

「我々はいま、ある種の過渡期にあるのでしょう。第1の経験から受ける感覚が希薄になり、第3の経験がどんどんなくなり、第2の社会的経験が爆発的に膨れあがっているため、個人の幸福がどこにあるのかわかりにくくなっていく。そんな中にあって、古代の人たちにとっての神秘体験に代わるものは現われるのかどうか。・・・そうして加速していく社会が生み出す物語との付き合い方を知るためにも、第1の経験から第4の経験までのありかをきちんと自覚して、いたずらに振り回されないようにすることが重要になるのです」。

人間にとって物語とは何かを、改めて考えるきっかけを与えてくれる書です。