田沼意次と松平定信との壮絶な争いの陰の仕掛け人・・・【リーダーのための読書論(25)】
一人の著者によって長年に亘り書き継がれてきた『逆説の日本史』は、歴史の通説に異論を唱えるその姿勢が人気のシリーズであるが、『逆説の日本史(15)――近世改革編 官僚政治と吉宗の謎』(井沢元彦著、小学館)には驚くべきことが書かれている。
「一昔前までは田沼意次といえば『希代のワル』『諸悪の根源』『悪徳政治家の象徴』『賄賂の帝王』として、一般には認識されていた」が、不倶戴天の敵・松平定信の保守的政権と比較して、田沼政権は革新的政権であったという肯定的な評価が定着しつつあるというのだ。これは他の研究者たちも述べていることなので、さほど驚くには当たらないが、意次と定信との血みどろの争いの陰でうまく立ち回った人物、いや、そう仕向けた権謀術数の黒幕がいたというのだ。
井沢にこの黒幕の存在を教えたのは、郷土史家の手に成る『田沼意次――その虚実』(後藤一朗著、清水新書。出版元品切れ)という小冊子である。
8代将軍・徳川吉宗の跡を継いだ9代将軍・家重、10代将軍・家治の厚い信任を得て、低い身分から側用人、老中と出世した意次が政権を担当し、やがて失脚するまでの19年間を田沼時代という。一方、意次の失脚を画策し、11代将軍・家斉のもとで老中になった、吉宗の孫という血筋を誇る定信が政権を担い、田沼政治の全否定を目指した6年間は寛政の改革と呼ばれている。著者・後藤がまとめた田沼政治と寛政改革の実施政策の対比表というのが、よくできている。意次vs定信は、外交:開国志向vs鎖国死守、財政:拡大方針vs緊縮方針、工商:経済発展重商主義vs商工業抑圧重農主義、学問:向上発展的・出版奨励vs異学禁止・新規出版禁止、言論:自由解放vs隠密強化・抑圧制御、人事:人材登用vs家柄尊重――といった具合だ。
意次を成り上がり者と蔑み、ライヴァル意識を燃やす定信の意次追い落とし工作にひそかに加担し、やがて、かつての仲間・定信の失脚・追放を冷酷非情に断行した稀代の策謀家こそ、吉宗の孫にして、家斉の父である一橋治済(はるさだ)だと、著者が告発している。しかも、治済は定信の将軍就任阻止策を画したり、将軍も、将軍供給源である御三卿(田安家、一橋家、清水家)、御三家の尾張家、紀伊家の当主もすべて自分の子孫で独占するという辣腕ぶりだ。
一橋治済のような、これまで歴史の襞に潜んでいた人物を知ることは、歴史を学ぶ醍醐味と言えよう。この意味で、源頼朝の没後、時の権力者・北条一族と暗闘を繰り広げた三浦義村も、大いに興味をそそられる人物である。東国武士団は頼朝の死を契機として、有力御家人の勝ち抜き戦の様相を呈する。そして、最後まで生き残ったのが、北条一族と三浦半島を本拠地とする三浦一族の2大勢力であった。
『つわものの賦』(永井路子著、文春文庫。出版元品切れ)の中の「雪の日の惨劇――三浦義村の場合」の章では、この恐るべき権謀家・義村の人物像が鮮やかに描出されている。著者は、義村こそ北条義時と並ぶ、日本の生んだ政治的人間の最高傑作だとまで言い切っている。この『つわものの賦』は史伝のレベルを大きく超えている。日本に中世をもたらした原動力を、頼朝個人の行動ではなく、東国武士団という組織の行動として捉えるべきだという指摘など、歴史に対する鋭い洞察に満ちた覚醒の書である。
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