私生活を一切明かさない作家・久生十蘭の赤裸々な従軍日記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(579)】
散策中、甘い香りがすると思ったら、ジャスミンが白い花を咲かせていました。ユズ、アマナツ(ナツミカンの品種)、カリンが実を付けています。因みに、本日の歩数は10,419でした。
閑話休題、『久生十蘭「従軍日記」』(久生十蘭著、小林真二翻刻、講談社文庫)は、作品で勝負するとばかりに自らの内面や私生活は一切語らなかった作家・久生十蘭の秘密を覗き見るという楽しみを提供してくれます。
本書は、海軍報道班員としてインドネシアのジャワ島に赴いた十蘭が、昭和18(1943)年2月から約6カ月間、毎日、書き綴った従軍日記です。
前線基地に辿り着くまでは、ほぼ毎日のように、現地の女性たちとベッドを共にしています。例えば、スラバヤにおける7月4日(日)の一節は、こんなふうです。「入って見ると、大して広くもないサロンに三人のプロンパン(=女性)がいる。みな大分酔っているらしく、一人だけはガウン風のナイトドレスを着ているがあとの二人はほとんどnu(=裸体)である。奥の椅子の三十六七のプロンパンは最も酔い、ひどく上機嫌に泳ぎ廻る。一人は大柄な顔をしたえらい大女、ナイトドレスのほうはハンガリーの田舎女のような少しオドオドした少し単純な顔をしている。これがいちばん若い。・・・話してるうちにどうやらこの三人は近くWoman’s camp(=収容所)に入ることになっていささか自棄になっているのだということがわかった。・・・間もなく、(連れの)画伯が老プロンパンと奥へ行く。大女(これは近藤君のアミ<=恋人、友人>なり)は近藤君とこれも奥へ行く。おれとmarth(=女性の名)長椅子で話す。・・・明日から十四日毎晩来てくれぬかという。なるたけ来るようにしようというと、SureかSureか、といくども念を押す。しかし、おれにしてももう間もなく前線へ行く身ゆえ、この約束こそ、いわば果敢(はかな)きものなり。森鴎外の『おもかげ』などという古い小説の中の話のようにていささか心惹かる。急速にamoureux(=恋をしている、愛情に満ちた)なり。間もなく近藤君merry(=女性の名)と出てくる。そのあとへ入る。なにかvif(=生き生きとした、激しい)なり。むしろextase(=陶酔、恍惚)なる如し。あわれに思えり。マンデー(=水浴)をし、Quatre<en un>lit(=4人で1つのベッド)なり。もう午前五時に近し」。
前線基地のアンボン島のベンテン砲台における8月9日(月)の日記は、このように記されています。「道路の上に間もなく人っ子一人見られなくなり、動いているのはわれわれの自働車だけになる。なんともいえぬ辛い感じである。そのうちに運転兵が『来ました来ました、上へ来ています』と叫ぶ。エンジンの音でおれにはきこえないが敵機はもう近くの空の上にいるらしい。右手の海岸から突然、赤い光った玉が空へ孤を描いて打ち上げられる。曳光弾を打ち出した。オープンの幌から空を見上げると頭の真上に吊光弾が宙吊りになってフラフラと動いている。曳光弾の赤い色と吊光弾も薄青い色が交り合って行手の道路と左右の椰子林を奇妙な色に染め上げる。行く手のやや遠くでズドン、ズドンとえらい音がする。・・・道路の上で動いているものはこの自働車ばかり、上からハッキリ見えるはずで気が気でない。いまにも銃撃されそうでならない。停められるものなら停めて林の中へでも走り込みたいような気もするし、やはりそれでも助からないような気もする。自働車がのろくのろく感じる。砲声はいよいよはげしくなり、曳光弾が赤い玉をあげる。思わず腰が浮き、固唾をのむ。早く早くと心があせる。幌へつかまって空を見上げる。今やられるか今やられるかとあえぐ。ようやく、砲台の上り口へつく。もう少し、もう少しとあせる。・・・立唐兵長と藤垣兵長がいる。よく帰って来たといってくれる」。
久生十蘭という作家がますます分からなくなったというのが、私の正直な感想です。