井上ひさしとつかこうへいの縦横無尽、言いたい放題の対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(737)】
あちこちで、ツバメが巣を作ったり、卵を温めたりしています。我が家の庭の片隅で、紫色のミヤコワスレ、桃色のウスベニカノコソウ、白色のクルメツツジが咲いています。ハナミズキの総苞が赤色から桃色に変化してきました。因みに、本日の歩数は17,214でした。
閑話休題、『国ゆたかにして義を忘れ』(井上ひさし・つかこうへい著、河出文庫)は、井上ひさしとつかこうへいという個性的な二人の対談集ですから、面白くないわけがありません。
二人の話し合いは縦横無尽というか言いたい放題というか、一般人の常識を裏切るものばかりです。
若者と老人について論じている最中に、井上がこんなことを言い出します。「ええ。そのユングの代表的な論文は、みんな70になってから書いている。なんでもかんでも若い人がいいというんじゃなくて、ファッション感覚や言葉をおもしろくとるというのは若い人のほうができそうだし、若い人のほうが秀れている。しかし、理論を積み重ねていくとか、いい小説を書くために感覚だけじゃなくて、いろんなものを仕込んでいくとか、そういうことは、若い人よりもおじんのほうがいいかもしれない。日本の場合、若ければ正しいというのが野放図にありすぎる。逆におとなは結局、金とか権力とかでしか勝負できないと思い込む。この図式を叩き潰さなくちゃ・・・」。井上の言い分に全面的に賛成です。
平等と不平等については、こんなふうです。「平等には二通りあるわけでしょう。物理的、自然的な不平等というものがあります。たとえば、加山雄三でも石原裕次郎でも(石原)慎太郎でもいいんですが、生まれつき持っている才能とか、顔とか、声、ルックス、家庭の事情、これはどうしようもない。この不平等は正しようがない。しかし、権力や金、社会的な約束でできているところで起こる不平等は、正してもいい。まあ、それが革命であったり、日本流でいうと世直しであったりして、社会の約束事だから、こことここを変えて、平等にしていこうというのは、これはいい。それは全面的に認めますけれど、どうにもならない不平等を、平等にしろというのが最近の風潮で、それはちょっとまずいと思う。ほかの例をあげると、小説家にだれでもなれると思っている。・・・一見陽気にやっているようでも、陰では書いたり消したり悩んだりしながら、朝から夜中までごそごそやっている。そこはすっ飛んじゃって全部平等でなければいけないという」。井上の作家としてのプライドが滲み出ています。井上ほど自分の身を削って文章を紡いでいった作家はいないのですから、当然と言えば当然でしょう。
夢を見られない時代について、こういうやり取りが展開されます。「●つか=『風と共に去りぬ』が大好きで、観ていていつも感動するのですが、ビビアン・リーが自伝を書いて、その中にクラーク・ゲーブルの息は臭かったというのがあって、ショックを受けたことがあります。●井上=それはおもしろい。●つか=なんだかさみしくなりました。なかなか夢を見られない時代なんですかね。うまく騙してよ、こっちもうまく騙されるから――というのが世の中のルールだと思うんですけど。●井上=それは基本的なことですね」。
32年前の作品ですが、内容が古びていると感じさせないのは、物事の根本を大事にした井上とつかだからでしょう。