世界を席巻したテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の誕生秘話・・・【情熱的読書人間のないしょ話(753)】
茨城のひたち海浜公園では、ネモフィラの花がまるで水色の絨毯を敷き詰めたようです。黒色など、さまざまな色合いのチューリップが咲き競っています。因みに、本日の歩数は13,194でした。
閑話休題、『ハイジが生まれた日――テレビアニメの金字塔を築いた人々』(ちばかおり著、岩波書店)は、1974年にフジテレビ系列で52話に亘り放映されたテレビ・アニメーション『アルプスの少女ハイジ』の制作現場のドキュメントです。
「(ヨハンナ・シュピーリの)原作自体も文句なくおもしろいが、アニメの『ハイジ』には原作を単に映像化したにとどまらない深い人間ドラマがあった。加えて美しい音楽と背景画にも魅せられた。映像はもちろん、丁寧に描かれた日常生活、人の仕草や心理描写など、その完成度はおおよそ当時のテレビアニメの域を超えていた」。
「当時『ハイジ』の制作現場には、(原画の)森やすじ、(演出の)高畑勲、(作画監督の)小田部羊一、(レイアウト<場面設定>の)宮崎駿をはじめとした超一級の仕事師が奇跡のように集結していた。そしてこの作品から多くの次代を担うクリエーターが育っていった。テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』が生まれた日。それは日本のアニメが一つの頂点に到達し、新たな一歩を踏み出した瞬間であった」。
『ハイジ』の生みの親・高橋茂人が目指したものは何だったのでしょうか。「(キリスト教)信仰は原作の大きな柱になっている。ハイジの喜びや幸せに、日本の子どもたちが共感するには、どう描けばいいのだろうか。ハイジの心の支えを具体的な宗教ではなく、もっと象徴的なものに置き換えられないだろうか。(企画の)高橋と脚本家の松本功は『ハイジ』の構成を練りながら、そのように思案していた。そうして選んだシンボルが樅の木だった。アルムの小屋の裏に3本の大きな樅の木を置き、これをハイジの心の支えにするのだ。ハイジは心が揺れると樅の木の音に耳を澄ます。フランクフルトでことあるごとにハイジが思い出すのも樅の木の音だ。揺るぎなく天に向けてそびえ立ち、アルムを抱擁する守護神のような樅の木。絵としても映える。樅の木を据えたことで、日本の『ハイジ』は世界で受け入れられる普遍性を持ったといえよう」。
高畑が最重視したものは何だったのでしょうか。「高畑は『ハイジ』という作品に、日常芝居の可能性を懸けていた。地味ともいえる生活の描写を積み重ねることで、ハイジという少女にリアリティが生まれ、視聴者がその世界を実感し、ハイジの心に共感できるようになる。『主人公の日常にいわば密着取材して、彼らの一日一日の生活(生き方)を克明に追いかける』。それによってアニメーションという虚構を超え、信じるに値する世界を子どもたちに見せられるのではないだろうか」。
宮崎が果たした役割はどのようなものだったのでしょうか。「高畑は、レイアウトをアニメの鍵を握るポジションだと位置づけており、それを宮崎に託している。レイアウトとは、演出家の意図が示された絵コンテをもとに描かれる設計図ともいうべき図面のことだ。そのシーンをどう見せるかを決定する重要な仕事であり、画力、構成力はもちろん、映像表現や撮影手法まで視野に入れた、アニメーションの総合的な力が必要とされる」。「高畑の演出指示を宮崎が次々とレイアウトに起こしてビジュアル化していく。レイアウトがすみずみまできちんと設計されているので、後に続く原画や背景はレイアウト通りに描くだけで自ずと演出意図を反映させたものになり、作品の完成度もスピードも上がる。通常ベテランでも1日数枚程度しか描けないというレイアウトを宮崎は日に50枚以上描いた。その馬力を維持しながら1年間52話全てを一人で受け持とうというのである。宮崎は『やる』と決めたら意地でもやり通す人間だった」。
ものづくりは素晴らしいこと、人生は真剣に生きるに値することを、本書が教えてくれました。