一風変わった昆虫学者の、身近な昆虫、動物たちとの交遊録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1206)】
「空気の器」は、1枚の平面の紙に過ぎないが、持ち上げて伸ばすと、網目状の細かい切り込みが入っているため、立体的なさまざまな形の器に様変わりします。
閑話休題、『昆虫学者はやめられない――裏山の奇人、徘徊の記』(小松貴著、新潮社)は、一風変わった昆虫学者の身近な昆虫、動物たちとの交遊録です。
オスがメスに餌をプレゼントするクモの話です。「生物の中には、交尾の際にオスがメスに対して餌を提供するものが多数知られており、この行動を『婚姻贈呈』と呼んでいる。・・・クモにおいてこうした行動をとるものは、アズマキシダグモを含むキシダグモ科の他、数種のクモに限られるらしい。日本では長らくこのアズマキシダグモただ1種のみが知られていたが、近年その近縁筋のハヤテグモというのも婚姻贈呈の習性を持つことが確かめられている」。
「婚姻贈呈の理由は、(交接時)メスに食われたくないオスが自分の身代わりとして餌を用意し、メスの機嫌をとるためだとかつては解釈されていた。しかし、少なくともアズマキシダグモに関しては、雌雄でさほど体格に差がなく、オスはメスに攻撃されることはあっても丸ごと食われてしまう可能性は低い。近年では、身代わりというよりも交接の時間稼ぎとして餌を用意する意味合いが強いのではないかと考えられているようだ。交接の時間が長ければ長いほど、オスは自分の精子をより多くメスの体内に送り込むことができる。餌に食いついている間、メスは比較的オスの振る舞いに対して無頓着になるため、より大きくて食べ終わるのに時間のかかる餌を用意してメスに渡せば、それだけ長い時間オスは交接を許される。また、産卵前に大量のタンパク質を労せずして得られる点では、メスによっても有益だ」。オスの苦労に同情してしまいます。
11年間に亘る著者の苦労が報われた瞬間が語られています。「(チャバネフユエダシャクの)オスは全体的に黄色っぽい色彩なのに、メスの姿がとんでもない。翅が全くないのは言うまでもないとして、体色がメリハリのある白地に黒のまだら模様。まるでミニチュアのホルスタインだ。何も知らない人がこの2匹の昆虫(ガ)を見たら、間違っても同種の夫婦だなんて思う訳がない。しかし、紛れもなくこの2匹は同種であり、ちゃんと交尾をしているはずなのだ。・・・私は、このフユシャクが交尾している様をどうしても一目見てみたいと探し続けて来たが、どう頑張って探しても見つからなかったのだ」。掲載されているオスとメスの写真を見ても、同じ種とは信じ難いほど形態が異なっています。
「私はそっと近寄ってみた。ただただ、ため息をつくほかなかった。目の前には、姿かたちが似ても似つかぬ2匹の昆虫が、物言わず相反する方向を向きながら連結していた。私がこの虫のその様を見つけてやろうと思い立ってから、実に11年目の事だった」。私も昆虫好きなので、著者の嬉しさ、興奮を共有することができます。
外来種の問題が考察されています。「日本産のヤマネは、現存するヤマネ類の中でも特に系統的に古いタイプの生き残りであり、とにかく現在まで生き残ってきたこと自体が奇跡のような動物なのだ。日本産のヤマネは、餌や行動圏が(北海道だけに棲息するはずなのに、長野でしょっちゅう見かける)シマリスのそれと非常に似通っており、しかもシマリスよりずっと小柄で力も弱い。だから、ヤマネは生きる上で必要な資源を巡ってシマリスと競合する可能性がとても高く、かつ競合すれば必ず負けるのは想像に難くない(ちなみに、本土在来のニホンリスは根本的にシマリスとは活動する樹高が重ならず、生活スタイルもかなり違うので直接的な競合は起きないと思う)。そんなヤマネが今まで日本に生き残ってこられた理由の一つとして、彼らがシマリスの分布しないエリア(本州以南)に分布していたことが挙げられるだろう」。
「長野のシマリスは、長野にいてはならない。今のうちに全て野山から絶やすべきである。外来種絡みの問題でこういうことを言うと、『よそから連れてこられた動物に罪はない、連れてきた人間が悪いのだ』という者が必ず現れる。確かにそのとおりである。しかし、だからと言って連れてこられたその外来種がそのままそこに居続け、そのせいで在来の生物が蹂躙され、絶滅していくのがよいなどという理屈は、決して通らない。・・・生態系を乱す原因を作ったのが人間ならば、その後始末をきっちりつけるのも、また人間がやるべきことである。シマリスが可哀想だからなどと言ってこのまま何もしなければ、今度は元々そこにあるべき八百万の生き物達が可哀想な目に遭うのだから。私の尊敬する、とある知り合いの学者は、『外来生物は罪はないが害はある』と言っていたが、本当にその通りだと思う」。大分以前のことだが、山梨の西沢渓谷の林道で、休んでいたヤマネが接近した私に驚いて、つつつと走り去るところを目撃し、感激したことを鮮明に覚えています。外来種はいろいろと難しい問題ですが、著者の考え方に賛成です。