榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

江戸時代の歴史では、保科正之、徳川綱吉、田沼意次に注目すべし・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1440)】

【amazon 『学校では教えてくれない江戸・幕末史の授業』 カスタマーレビュー 2019年3月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(1440)

千葉の松戸~市川を巡る散歩会に参加しました。矢切(やきり)の渡しの舟が展示されています。年に1日だけ開放される栗山配水塔を見学しました。満開のソメイヨシノが真下に見えます。栗山古墳、本久寺を訪れました。国府台天満宮では、藁で作った大蛇を樹に掛ける、古くからの「辻切り」という行事が現在も行われています。戦国時代に里見氏と北条氏が激しく戦った国府台城跡が里見公園となっています。ここには北原白秋縁(ゆかり)の紫烟草舎が移築されています。因みに、本日の歩数は15,523でした。

閑話休題、『学校では教えてくれない江戸・幕末史の授業』(井沢元彦著、PHPエディターズ・グループ)の中で、私が注目したのは、保科正之、徳川綱吉、田沼意次の3人です。

江戸時代に入っても残ったままの戦国時代の余韻を消し去り、戦国時代との決別に貢献した人物が、正之と綱吉だというのです。

正之は三代将軍・徳川家光の異母弟だが、正之の業績として、●末期養子の禁の緩和(末期養子が認められずに取り潰される大名が減ることにより、社会不安の要因となる浪人が減る)●殉死の禁止、●大名証人制度の改革(証人<人質>の範囲の縮小)、●江戸の水道整備、●大川(隅田川)を跨ぐ両国橋の設置(防災に役立てるため)、●江戸の道路幅の拡張(防災に役立てるため)――が挙げられています。戦国時代から平和な時代になったのだから、もう「防衛」は不要になったと、正之は反対者たちを押し切ったのです。

五代将軍・綱吉は、戦国時代の意識を改革するために「生類憐みの令」を出したというのです。「辻斬りなど平気でできるという意識は、そろそろ変えてもらわなくては困る。もう戦国時代は終わり、戦争は当面なさそうな世の中なので、侍も民を慈しみ、人命を尊重してもらわなければいけないわけです。そこで幕府として何をするか。五代将軍綱吉は、人命尊重を訴えることは当然として、それをもっと徹底させようと考えた。一番簡単なのは犬を殺したりいじめたりしてはいけないというルールを決めることです。つまり犬追物は禁止、犬を大切にしろと。それが有名な『生類憐みの令』の主旨でした」。綱吉は、徳川家康が好きだった鷹狩も禁止しています。「生類憐みの令」のような慣例にない、武士の常識を覆すような法律を制定・実行できた綱吉は、家康に匹敵する政治の天才と言っても過言ではないと、著者は高く評価しています。

著者は、老中・田沼意次の財政改革も高く評価しています。「三大改革が行われていた時代は、いずれも、財政再建どころか自分で自分の首を絞めているだけだったのです。この状況を打開するには、逆の政策を打ち出せばいい。つまり米の増産を止め、商売を盛んにして、そこから税金を取る。あるいは開国して貿易する。まさに経済活性化政策であり、米中心からお金中心への転換です。そう考えた人物が、幕府内にもいました。それが老中の田沼意次です。田沼が目指したのは、商売を盛んにして税金を取ること。いわゆる重商主義です。・・・また田沼が実験を握った時代、実際に江戸では町人文化が栄えました。浮世絵にしろ、歌舞伎にしろ、おおいに花開いたのはこの時代です。人々がそういうものにお金を使うようになれば、経済も活性化します。朱子学の追求した他の三つの改革の時代とは、真逆の世界が広がったわけです。田沼の政策こそ、理にかなった財政改革だったと言えるでしょう。ところが皮肉なことに、家康によって大多数の武士が朱子学を学ぶようになった結果、貿易や商売は否定され、田沼の政策は幕府の品位を貶めるものと評価されるようになるわけです」。

井沢元彦というのは、いつもながら、刺激的な本を書く人ですね。