日本の先史・古代史の考古学の最新成果を知るのに最適な一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1473)】
これまで見たことのない深紅の花を撮影したものの、図鑑に載っていないため、名前が分からず困惑していました。facebookを見ていたところ、何と、平藤淳一さんの投稿動画にこの植物が映っているではありませんか。早速、問い合わせ、クリムソン・クローバー(ベニバナツメクサ)と判明しました。シーラ・ペルヴィアナが青色系の豪華絢爛な花を広げています。ムギセンノウ(ムギナデシコ、アグロステンマ・ギタゴ)の薄紫色の花が風に揺れています。白い小さな花が手毬のように集まって咲いているのはコデマリです。コデマリより大振りな白い花が集まって咲いているのはオオデマリです。コデマリとオオデマリは名前も外見も似ているが、両者は遠縁の科に属しています。レッドロビンが白い小さな花を付けています。ドウダンツツジが満開です。ヤマボウシの総苞が成長しつつあります。因みに、本日の歩数は10,494でした。
閑話休題、『ここが変わる! 日本の考古学――先史・古代史研究の最前線』(藤尾慎一郎・松木武彦編、吉川弘文館)は、日本の先史・古代史の考古学の最新成果を知るのに最適な一冊です。
今から約3万7000年前の旧石器時代から紀元後10世紀の平安時代半ばまでが、旧石器、縄文、弥生、古墳、古代といった時代順で解説されています。
日本列島の後期旧石器時代の始まりは、このように記されています。「後期旧石器時代初頭の遺跡の放射性炭素年代測定例をみると、最も古く見積もっても3万8000年前よりも新しいことはほぼ確実であり、約3万6000年前以降に遺跡数が増えている」。
縄文土器が最終氷期に遡ることが明らかになっています。「1998年に発掘調査が行われた(青森県)大平山元Ⅰ遺跡では、編年的に縄文時代の最古段階と考えられていた無文土器と、旧石器時代的な特徴をもつ石刃製の石器類が発掘された。この土器に付着した炭化物の放射性炭素年代測定が名古屋大学の加速器質量分析計で行われ・・・土器の年代は最も古く見積もって1万6500年前となる可能性があることが発表された。当時世界最古の土器であり、学界のみならず社会的にも大きな注目を集めた。これまでは土器が出現したころはすでに温暖であり、縄文時代的な豊かな森林資源を利用するために土器が発明されたと考えられてきた。これに対し、最古の土器が使われたころの北東北はまだ最終氷期から続く寒冷な針葉樹中心の環境が広がっており、堅果類が多く実るような縄文的な環境ではなかったと推定されたためである」。
意外なことに、縄文時代の人々にとってクリが重要な役割を果たしていました。「青森県三内丸山遺跡では、集落の形成・拡大とともにクリが多くなるさまが花粉分析によって明らかにされている。三内丸山遺跡の集落が形成される前には、遺跡周囲の植生がナラ林主体であったものが、縄文時代前期(約5500年前)に集落が形成されるとクリの純林(クリしか生えていない林)に覆われるようになり、中期末(約4000年前)に集落が廃絶すると、ふたたびナラ林が復活するという状況が確認されている。クリの純林が出現するというような状況は、通常自然界においては起こりえないことである。このことは、縄文時代の人々が集落の周囲にクリを意図的に植栽し、これを管理していたことをうかがわせる」。彼らは、クリを食用としてだけでなく、建築材を初めとする木材としても用いていたのです。
水田稲作が弥生時代のメルクマールとなるが、その水田耕作はいつ頃始まったのでしょうか。「2003年、歴博(=国立歴史民俗博物館)年代研究グループは、日本の水田稲作は紀元前10世紀に始まったという説を発表した。最古の水田に伴う弥生土器に付着したススなどの炭化物を、AMS―炭素14年代測定した結果、導き出されたものである。この結果、水田稲作のはじまりは500年ほどさかのぼることになった」。「九州北部の弥生時代を利器の材質で分けると、紀元前10~前5世紀までの石器時代、紀元前4~前2世紀の初期鉄器時代、前2世紀以降の鉄器時代と推移することになる」。
弥生時代にも古墳があったという記述には驚かされました。「最古の大型前方後円墳は奈良県の箸墓古墳で、この秩序の中心に大和の勢力が立ったことも明確になった。以後、箸墓以降のすべての墳丘墓を『古墳』と呼び、それより前の墳丘墓は『弥生墳丘墓』などとして古墳に含めないという研究枠組みがほぼ共有された」。