榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

憲法九条には、戦争未亡人ら戦争遺族の血と汗と涙が込められている・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1672)】

【amazon 『憲法九条は世界遺産』 カスタマーレビュー 2019年11月14日】 情熱的読書人間のないしょ話(1672)

我が家の駐車場で、腹部を左右に振りながら、腹部の先端をコンクリートに押し付けているセグロアシナガバチを見つけました。女王バチなのか、また、どういう勘違いをしたものか、次々と卵を産み落としているではありませんか。ツワブキで吸密するモンシロチョウ、目白(メジロ)押しならぬ、スズメ押しのスズメたちをカメラに収めました。自動車運転免許証更新の第1関門たる認知機能検査を受けました。因みに、本日の歩数は10,506でした。

閑話休題、『憲法九条は世界遺産』(古賀誠著、かもがわ出版)からは、平和を願い、絶対に再び戦争をしてはいけないという古賀誠の熱い思いがひしひしと伝わってきます。

古賀の心の根底には、戦争未亡人として、貧困の中で苦労しながら育ててくれた母への感謝の念が存在しています。

「父親は姉と私を残して、私が2歳のときに2度目の出征をいたしました。33歳のときであります。そして、二度と帰らぬ人となりました。・・・父が出征したあと、母親の命がけの人生が始まりました。・・・残念ながら農家ではございませんので、食べていくのに一番手っ取り早いのが、隣近所を歩いて行商に出るということでした。母親は、私が物心ついたときから行商に出ていました。・・・食を得るために、隣村や隣町へ自転車の荷台にいっぱいの乾物などを積み込んで、一軒一軒訪ねて歩いてくれたものです。そういう環境の中で私は少年時代を過ごしました」。

「自転車に売り物を乗せて行商するのですが、自転車が転がせないようになる60歳前後まではやっていました。足腰が弱ったあとは自宅の前に小さな乾物店を開いて、(私が)国会議員になってもずっとその店を続けていました。82歳で亡くなりましたが、最後まで小さな店で座って店番をしていました。母親から学んだのは、その生きざまです。『自分は自分でできることの範囲内で生きていくのだ、他人にご迷惑をかけない』というものでした」。

「『なぜ日本の国は戦争をしたんだろうか』『なぜこういうつらい思いをする母親の背中を見なければいけないのだろうか』。それが私の思いです。私の小学校、中学校の頃は大きな志や目標というものを持つことはありませんでした。しかし、『貧乏はイヤだ。こんなに一生懸命に働かなければいけない母親の姿を見るのはイヤだ』ということだけは、私の心の中から消えることのない想いであります」。

古賀の憲法九条に対する考え方に、私は全面的に賛成です。

「この(衆議院)選挙によって、いくつも学ばせていただきましたが、一番学んでことは、貧乏で寝る暇もないような苦労をしたのは、私の母親一人ではなかったことです。私の応援をしていただいたあのおばさんも、隣の奥さんも、聞いてみると全員戦争未亡人だというじゃないですか。選挙を通じて、戦争がどれだけの多くの命を奪ったのか、戦争というのは、どれだけの多くの不幸な悲しい人たちをつくったのか、そのことが身に染みて理解できました。母親と同じ境遇の人はたくさんいらっしゃったと強く自覚することができました。・・・何がご恩返しになるかは明らかです。多くの方との交わりの中で、こういう戦争未亡人を再び生み出さない平和な国をつくりあげていくことが政治だろうと肝に命ずることです。・・・だからこそ、私の(政治家として)一番大事な仕事は、わが国が永久に平和であるために努力することになりました。それこそが私の責務なのであります。これが私の原点ですから、靖国神社の(A級戦犯は分祀すべきという)問題とか憲法九条の問題というのは私のすべてなのです」。

「私は『憲法九条は世界遺産だ』と申し上げています。・・・あの大東亜戦争に対する国民の反省と平和への決意を込めて、憲法九条はつくられています。憲法九条一項、二項によって、日本の国は戦争を放棄する、再び戦争を行わないと、世界の国々へ平和を発信しているのです。これこそ世界遺産だと私は言っているのです。・・・あの大東亜戦争で、多くの人が無念の思いで命をなくし、その結果として、子どものために人生のすべての幸せを捨てた戦争未亡人はじめ多くの戦争遺族の血と汗と涙が流されました。その血と汗と涙が、憲法九条には込められています。そう簡単に、この憲法九条を改正する議論をやってもらっては困るし、やるべきではないと思うのです。私の母親もそうですが、戦争で未亡人になった人が全国に何百万人といて、幼い子どもを抱えて苦労しておられた。そういう人たちが報われるような国にする道は何かといったら、平和憲法を守って戦争をしない国であり続けることが一番大事ではないですか。だからそのために私は国会に出てきたのです」。

後藤田正晴、野中広務、古賀誠と、保守政治家の中に脈々と息づいてきた平和憲法を守ろうという姿勢が途絶えてしまわないか、心配です。

「野中先生の政治家としての力量、能力には遠く及びませんが、私も、たった一回の人生で政治という厳しい道を選んだ一人として、『先生のような政治家としての生きざまを貫きたい』――常々、そう願って野中先生の後を歩いて32年、政治活動を続けさせていただくことができました。そしてそのことを、本当に誇りに思います」。

「野中先生も言っておられましたけれども、やはり針の穴であっても一つ開いたら、ゆくゆくはおかしいところにいってしまうのです。後藤田正晴先生も仰っていたように、戦争にかかわる風穴は小さな穴でもあけたらどんでもないことになってしまう危険性があるのです」。

「ありがたいことに、私が属する宏池会という政策集団は、九条を守ろうという志を持ってきました。宮沢喜一さんも護憲論者、大平正芳さんも護憲論者、田中六助さんも護憲論者。その流れを汲んでいるのが宏池会です。派閥は違いましたが、後藤田正晴さんもまったく同じ立場でいてくれました。・・・自民党の中で戦争を知っている世代、戦争を経験して戦後を生きてきた人たちが政権の中枢にあるときは、憲法問題についての議論は起きてきませんでした。しかし、そういう人たちがいなくなったときに、平和憲法を変えるという大きな議論が起きてくるのが心配だというのが、先輩たちの遺訓です。後藤田正晴さんに代表される、ある意味では野中広務先生にも代表される遺訓であり、みんなが持っていた危機感です」。

「信念、そしてあの憲法九条に込められた決意と覚悟、これさえしっかり持てば、日本はよその国と同じような道を歩く必要なない。これが私の結論なのであります。だから世界遺産なのです。私は日本の宝として後世の人たちへの贈り物として、守り抜いていくために、ここはしっかりとがんばり抜きたい」。古賀だけでなく、私たちもがんばらねばなりません。

「そもそも『憲法九条改正』など、ときの権力者が言うことではありません。憲法は国民のものなのです。憲法は権力者の権力行使を抑制するための最高法規です。私は安倍総理の評価すべきところは評価すべきとは思いますが、憲法の『九条改正』についてはあまりにも拙速すぎると不安です」。正に、至言です。

本書を読んで、古賀誠という政治家を心の底から好きになってしまいました。