榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

想像力が、能を楽しむ根幹・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1921)】

【amazon 『教養として学んでおきたい能・狂言』 カスタマーレビュー 2020年7月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(1921)

コボウズオトギリ(ヒペリカム・アンドロサエマム)が赤い実を付けています。テッポウユリが白い花を咲かせています。せわしく飛び回るアオスジアゲハ、タケノホソクロバというガの幼虫をカメラに収めました。我が家では、白いキキョウが雨に負けず頑張っています。

閑話休題、『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ出版)は、人生経験を積んだ人向けの能・狂言の入門書です。

「能の多くは前半と後半に構成が分かれ、前半の主役(前シテ)が土地に伝わる伝説を語り、後半はその伝説の主人公が亡霊となって再登場する(ノチシテ)といった演出が多い。シテは前後で姿を変えるため、装束を替える時間が必要になる。その時間をつないでくれるのが狂言方、前半の物語のおさらいをしてくれる。この狂言方を「アイ」といい、間(あい)狂言という」。

「テレビドラマや映画はリアルに場面を映し出し、特撮やCGも利用して実際にはないものを眼前に見せてくれる。・・・古典芸能の能楽(能と狂言)はそれらに頼らない。そうした最先端の科学技術を生み出した『人間の英知』に頼る。すなわち『想像力』だ。単純な鑑賞術で言えば歌詞のない演奏曲。オーケストラでもジャズでも筝曲でも良い。その楽しみ方は、素直に音へ身をゆだね、醸し出される感興から、ぬくもり、哀しみ、冬の光景、人間に営み・・・さまざまなことを思い描ける。また人物が登場して会話を交わしたり、モノローグを語る。これは漫才や落語といった話芸ですでに経験済みだろう。手がかりは『ことば』、そして、わずかな身振り手振り。落語では手拭と扇子、着ている和服の扱いだけ。そこに男女、年齢、職業を読み取り、場所は居間なのか、街頭なのか、店先か、聴衆がそれぞれ判断している。理解しているからこそ笑いが出たり、びっくりしたり、その臨場感を共有していることが客席の『ざわめき』でわかる」。能は、想像しながら見るものだというのです。

「難しいことではなく、能楽もその応用だ。演ずる側、受け取る側、双方で作り上げてゆく幻想の世界。これこそバーチャルリアリティーの先取り芸能だ。そう理解すると安心する。話芸よりもっとたやすいのは、役の装束をつけているし、神か、女性か具体的な面(おもて)もある。盛り上げる囃子もあれば、心に染み入る謡もある。ただ古い時代の表現や独特の言い回しがあったり、人物関係がいまでは『誰もが知ってはいない』有名人だったりするから、理解を妨げ二の足を踏むのだが、『三の足を出して』能楽堂に入ったら、チラシ裏面の簡単な内容紹介やプログラムにざっと目を通すだけで、目の前に展開する世界ががらっと変わってくる。・・・(あまり熱心に事前勉強をせずに)ぼんやり大枠知識で舞台に集中すること。これが、おおいに想像力を活性化させるのだ」。ぼんやり分かって見るのが、著者の一番のおすすめ鑑賞法だというのです。

「本来は、能と狂言が交互に演じられてきた。・・・それがいまでは、能二番の間に狂言一番、仕舞(ダイジェスト版とでも呼べる演能形式)数曲のあと、狂言そして能、といった上演形式が多い。国立能楽堂での定例公演では、狂言一番、能一番の順である。この『番』というのは一曲をさすのだが、『ばん』と読み『つがい』とも読む。つまり能と狂言がセットになっている『ひとつがい』という意味になる。テレビ、ラジオの番組の語源がこれで、正式には能と狂言がセットで『番組』となる」。

著者の「おすすめの能楽」が、解説付きで12挙げられています。

能・狂言を見に行きたくなる一冊です。