「年をとるってやっぱりわからない」は、本当に正しいのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1960)】
アカツメクサ(ムラサキツメクサ)の花にヒメハナグモが潜んでいるのを見つけました。撮影中に姿を見失ったと思ったら、糸を操って私の手に乗り移っているではありませんか。ナガコガネグモの雌が網を張っています。アカツメクサ(ムラサキツメクサ)、ヒャクニチソウ(ジニア)でイチモンジセセリ、クロマルハナバチの雌が吸蜜しています。ムラサキシジミ、キタキチョウをカメラに収めました。地面に落ちて仰向けで死んでいるのは、なぜか、アブラゼミの雌ばかりです。
閑話休題、インタヴュー集『そして、みんなバカになった』(橋本治著、河出新書)に収められている「『年をとるってやっぱりわからない』が正しい」が、とりわけ印象に残りました。
「(『双調 平家物語』を書いているとき、年齢表をつくりながら)長生きする人たちはどういう人なのか、考えてみたんです。他人がつくってくれた安定した基礎の上に乗っかっている人たちは長生きする、というのが私の仮説です。藤原道長の娘で一条天皇の后になった中宮彰子という人は、出家して上東門院になって、87歳まで生きた。弟の藤原頼通は83歳、さらにその弟の藤原教通は80歳まで生きています。長命の家系みたいですが、血のつながりのない頼通の奥さん、隆姫女王は93まで生きている。つまり血筋じゃないわけですよ。摂関家の全盛期を生きた人たちは、平気で長生きしているの。頼通のお父さんの道長はいつ死んだかというと62なんです。栄華をつくるためにがんばったから、エネルギーを使い果たして60そこそこで死ぬ。道長に、おまえは何やってるんだとぐだぐだ言われつづけた頼通は、ずっと長生きして、70の後半になっても教通と兄弟げんかをやってるわけ。私に関白を譲れ、いや譲らない、おれの娘を后にしろ、いやしない、とか。その隙に白河天皇が即位しますが、この人もけっこうな長生きで、77まで生きている。昔の女性というと、あまりいいものも食べていないだろうし、運動もしてないし、短命なんじゃないかと思うでしょう。でもそんなことはない。女院になったような人、しかもそのまんま忘れられた女院のほうがうんざりするほど長生きしています。・・・この時代を見ていると、結局、身分保障があって、何も考えずにすんで、わがまま言っていられると長生きできるのかな、と思えてくる」。橋本説によれば、私も長生きできそうです。何も考えず、好き勝手していますから。
「『瘋癲老人日記』を書いた谷崎潤一郎はすごいと思う。年をとった自分を笑っているし、年をとった自分を笑うことを快感にしているから、ああいうフィクションができるわけでしょう。だから年とった自分に引きずられて死んじゃった川端康成と、年とった自分を笑える谷崎潤一郎の差って、すごく大きいと思うんです。・・・三島由紀夫は年寄りを外から見ておもしろがるけれども、年寄りに同化できない人じゃないかな。・・・漱石は年をとれない人でしょう。頭の中が年をとれないから、年とったことを想像するということもできにくい人だと思うな」。
「世の中のほうで老いのきちんとした標識というのを用意してくれなくなったら、あるいはそれを否定するなら、自分で考えていくしかなくて、そうなってしまうと老いは永遠に未知なんです。だって、死は一瞬であるけれど、老いというのは、いつ来るかわからない死のときに至るまで、微妙な衰弱をそれこそ無限に続けて、受け入れていくことなんですからね。年とった人が、年とるとこういうものだというのを聞いていてうそっぽい気がすることがあるのは、その人が『年をとるということは未知のことだ』とあまり意識していないからじゃない? 年をとることってやっぱりわからないと思う人の、その年のとり方のほうが、正しい気がする。人生先はわからないからどうしようって、わからないなりに手探りでいこうとしないかぎり、若くても。年をとっていても、生きていくことの実感というのはないと思うんですよ」。