夢でもいいから 持ちたいものは 金の生る木と いい女房・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1990)】
我が家の庭師(女房)から、うちのシロバナマンジュシャゲも漸く咲き始めたわよ、と教えられました。
閑話休題、『芝浜の天女――高座のホームズ』(愛川晶著、中公文庫)は、一石二鳥どころか、一石三鳥の出し物なんでございます。
第一の鳥は、実に惚れ惚れするような、何とも、いい女房が登場することでございます。
真打ちの噺家・三光亭鏡治は、昭和十六年生まれの三十八歳。「身長百五十九センチ、体重七十キロ。前座時代はやせていたのだが、雑用から解放されたとたん、太り始め、今では立派な肥満体だ。丸顔で肌の色が浅黒く、どんぐり眼(まなこ)。左右からせり出した頬に圧迫され、目鼻が顔の中央に陥没している。そんな風貌から、楽屋の先輩につけられたあだ名が『タヌキ』。どう贔屓目に見ても、男っぷりはよくない。加えて、近頃、頭髪もだいぶ寂しくなってきた」。
「妻のことを思うと、自然に頬がゆるんできてしまう。(働き者で、飛びっ切り器量がよく、年は俺のちょうど一回り下。おまけに贅沢が嫌いってんだから、噺家の女房にはうってつけだ。『たらちね』の夫婦くらい不釣り合いではあるが・・・まあ、これも縁なんだろう。長年、くすぶり続けたこの俺がようやく人並みに売れ始めたのも、全部あいつのおかげなんだ)」。
第二の鳥は、惚れ抜いている女房がとんでもない秘密を隠していることに気づいた鏡治と一緒になって、その謎解きに参加できることでございます。
「鏡治が胸の奥にしまい込んでいた妻への質問は、言うまでもなく、『お前はなぜ俺と結婚したんだ?』。しかし、それをそのまま口に出す勇気はなかった。そうきいたとたん、天女が空へ帰ってしまうことが何よりも恐ろしかったからだ」。
「両眼を閉じ、今日の未明に平林刑事から聞いた妻の過去にまつわる話を思い出す。・・・『師匠もご存じとは思いますが、奥様の家庭環境は相当複雑だったようでして、それが原因で、中学卒業後に家を飛び出し、上京されました』。平林刑事の声が耳元で蘇ってくる。『しかし、庇護してくれる人間でもいれば話は別ですが、わずか十五歳の娘が自分独りの力で生きていけるほど都会は甘くありません。やはり、大変なご苦労をされたようです。悪い男にだまされ・・・これが性の悪さだけなら。まだよかったのですが、裏社会の住人というか、早い話、我々と追っかけっこをするような連中との関係が生じてしまい、住む場所も関西の方へ移った。そして、奥様が二十歳の時、<このままではいけない>と思い、勇気を出して、彼らとの悪い縁を断ったのだそうです』。平林刑事の話はこれでお終いで、その先は、質問しても一切教えてはもらえなかった。・・・(清子が初めてここへ来たのが五年前の暮れ。その時、二十一歳だから、二十歳で裏の世界から足を洗い、保険の外交員になったと考えれば何も矛盾はない)。・・・鏡治が知りたいのは、清子がこのアパートに現れたのが単なる偶然だったのかどうか。もしそうだと確認できたら、平林刑事から聞いた話は胸の奥深くにすべて封印し、これまで通りの暮らしを続けようと心に決めていた」。
そして、遂に、思いもかけない真相が・・・。
第三の鳥は、自分も噺家仲間の一員になったかのような気分をたっぷり味わうことができる仕掛けになっていることでございます。
お後がよろしいようで。