榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

不可能を可能にした渋沢栄一の『論語と算盤』の天才的発想とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2092)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年1月4日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2092)

ホオジロの雄(写真1、2)、シロハラ(写真3、4)、ツグミ(写真5)、アオジの雄(写真6、7)、雌(写真8、9)、ジョウビタキの雌(写真10~12)、、ハシブトガラス(写真13、14)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,833でした。

閑話休題、『お金の日本史――和同開珎から渋沢栄一まで』(井沢元彦著、KADOKAWA)で、とりわけ興味深いのは、「信長は信教の自由と利権打破のために戦った」、「九州では日本人が『輸出品目』だった」、「不可能を可能にした『論語と算盤』の天才的発想」の3つです。

●信長は信教の自由と利権打破のために戦った――。
「織田信長の側から当時の寺社勢力を見ると、延暦寺や日吉大社のような平安時代以来の宗教団体の方が問題ありの存在だった。日蓮宗や本願寺(一向宗)はいわば独立採算制で、庶民に経済的迷惑をかけていない。しかし古い型の経済体制で莫大な利益を上げている延暦寺などは、信長の新経済政策を絶対に許さない。これまでの体制なら、勝手に設けた関所や座や市の商人から莫大なカネが何もしなくても入ってくる。民間の自由な商人が『今の油はいくらなんでも高すぎる、座の干渉を受けずに安い油を作って売ろう』と思っても実行は不可能だ。油座の商人たちはそういう動きを必ず弾圧する。下手をすれば殺される。彼らは自分たちの独占的利益を守るため牢人(浪人)を雇っているからだ。仮にそうした目をかいくぐって安い油を製造したとしても、工場から市場へ品物を移動するためには関所を通るから関銭(関税)がかかってしまう。しかもどの市場に運べばいいのか、販売する市場(市)も多くは寺社勢力の支配下にある。彼らは僧兵という武士に匹敵する武装集団を抱えている。逆らえないのである。もっとも抱えているからこそ、それを維持するために莫大な資金が必要になる。一種の悪循環で、だから寺社勢力は関銭や座のパテント料やラインセス料、市のテナント料をますますつり上げることになる」。

「どうすれはいいのか? 彼らの武力に対抗できる力を持った大名が、『オレの領内においては自由に油を作っていいし売ってもいいぞ、ライセンス料もテナント料も一切いらん。文句を言うやつがいたらオレの武力で守ってやる。もちろん関所など領内には一切設けないから物流は自由だ』と言えばいい。これが『楽市楽座、関所の撤廃』であり、織田信長の基本経済政策なのだが、寺社勢力がこれに大反対したことはおわかりだろう。これまで『濡手で粟』でやってきたのに、信長という若造がとんでもないことを始めた、というのが寺社勢力の認識である」。

「(僧侶は)『信長、オレたちの利権を荒らすんじゃねえ』とは言わない。なんと言うかといえば『信長は仏教の敵である。仏敵滅ぶべし』である。しかしお忘れなく、この時代は本来人を救うべき僧侶が僧兵となって虐殺を行っていたのだ。信長は自分の方が絶対正しいという自信がある。だから『クソ坊主どもめ、仏敵だと、上等じゃないか、じゃオレは魔王だな』と開き直り、そうした勢力の中心である比叡山延暦寺の焼き討ちを敢行した。だからますます誤解される」。

「焼き討ちの目的は一に宗教団体同士の殺し合いをやめさせるため、二に庶民を苦しめる彼らの利権を叩きつぶすためである。それなのに多くの日本人はいまだに信長の真意を理解していない。・・・ここで改めて信長の旗印を見てほしい。なんと永楽銭なのである。『カネ』つまり経済改革それが信長政権のスローガンでありマニフェストなのである」。

●九州では日本人が「輸出品目」だった――。
「彼(天正少年遣欧使節の千々石ミゲル)は旅の途中で多くの日本人が裸同然で鎖につながれ奴隷として売られてゆくのを見たというのだ。実は豊臣秀吉の祐筆(秘書官)を務めていた大村由己も、秀吉が九州を訪れた時の目撃談として『日本人の男女が数百人南蛮船に買い取られ、手足を鎖で縛られ船底に押し込められていた』と報告している。九州では日本人が『輸出品目』だったのである。日本人としては非常に残念だが、島津を除く九州の大名、そして西国の大名あたりでも、かなり日本人を『輸出』していたらしい。日本人奴隷は、男は勇敢に戦い、女は黒人よりもヨーロッパ人の好みに合うということで珍重された。キリスト教というと非常に良いイメージがあるがそれは現代の話で、この時代はインカ帝国の例でもわかるように、白人以外、特に非キリスト教徒の非白人に対しては残酷で野蛮で卑劣なものであった」。

「ポルトガルやスペインは、日本人を奴隷として海外に輸出していた。秀吉や家康はこうした彼らのやり口に反感を持っていた。・・・それに比べれば、オランダやイギリスの貿易方針は日本人奴隷などは扱わない、まともなものだった。このため家康は(イギリス人のウィリアム・アダムズを)大いに気に入り、同じリーフデ号の航海士でオランダ人のヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインにも江戸に屋敷を与え、海外貿易のアドバイザーにした」。

●不可能を可能にした『論語と算盤』の天才的発想――。
「一刻も早く西洋諸国に追いつくためにすぐにでも資本主義を確立しなければいけないのに、それ(朱子学を排除した新しい教育)では時間がかかりすぎる。そこで渋沢(栄一)は考えた。歴史的に見れば朱子学とは儒教の一派で、儒教の開祖である孔子の説を『発展』させたものと言われている。だから武士階級は朱子学を学ぶ前に孔子の教えを必ず学ばされる、それは武士階級にとっての常識である。ところが・・・両者は実際にはかなり違うものなのだ。両者の違いは私に言わせれば『朱子学は本来の儒教に比べてヒステリック』なのである。・・・孔子の儒教では『商売は人間のクズのやる悪事』などと決めつけておらず。それをヒステリックに叫んだのは朱子なのである。ならば儒教の根本である孔子の教えに戻ればいい。孔子の言行録である『論語』には『商売のすすめ』とも受け取れる言葉がたくさんある。肝心なことはこれなら元武士たちも抵抗なく受け入れられるし、新たな教育も必要ないということだ。まさに天才的発想である」。

「渋沢栄一の著書『論語と算盤』を悪意をもって評するなら。もともと『水と油』である『論語(儒教)と算盤(商売)』に深い関連性があると『こじつけ』たものである、という言い方もできるだろう。本来の儒教では孔子に次ぐ聖人である孟子の言葉に『恒産無くして恒心無し』というのがある。『恒』という字は訓読みでは『つね』と読むが、安定した職業や財産をもたない人間は(生活に追われるから)しっかりした道徳心を持てない、という意味である。渋沢のやり方は、この言葉を『だからこそ、われわれは定期収入を得られる商売をおろそかにしてはいけない、孟子はそう言っている』という言い方である。そのように拡大解釈できないとは言えないが、実際には孟子はそこまで言っていない。・・・渋沢は『孔子の真意はそうではない』という言い方で倫理を説き、日本の資本主義を構築していった」。

井沢元彦の面目躍如の一冊です。