500年前に生け贄とされた15歳の少女のアンデス山頂への道を辿り直した写真家・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2099)】
キジの雄(写真1、2)、シロハラ(写真3、4)、ツグミ(写真5、6)、カワラヒワ(写真7~9)、アオジ(写真10)、コゲラの雄(写真11~14)をカメラに収めました。コゲラの雄の後頭には赤い羽があるが、他の羽に隠れて見られないことがほとんどです。それなのに、今日は幸運にも、赤い羽がバッチリ写っているではありませんか。
閑話休題、『地上に星座をつくる』は、旅する写真家のエッセイ集です。写真に語らせるという流儀がエッセイにも敷衍されており、驚くべき体験が淡々と記されています。
例えば、「手で尻を拭く」――。
「(ネパールの)トイレに紙がないのは、山でも街でも同様である。カップの水をちょろちょろとお尻に注ぎながら、左手を使って、拭く。これはインドやバングラデシュをはじめ南アジア、中東や東南アジアその他多くの地域で根付いている習慣であり、人力のウォシュレットとして、慣れればすこぶる快適である。たとえ何日間も風呂に入らなくても、尻の穴だけは常に清潔であるというのは、決してウソではない」。
「ガンジスの河口にて」――。
「初めてのインド旅行で触れたガンジス河では、水を吸って膨らんだ女性の遺体が上流から流れてくるのを見た。ぼくが立ち尽くすその横で、人々は脇目もふらずに道を行き交っている。遺体が流れ去った川の下流では男が歯を磨き、子どもがはしゃき、女たちが沐浴をしていた。牛たちが川から陸にあがりざまに糞をし、野良犬が得体の知れない肉を銜え、その横で洗濯をしている老婆がいて、老人が口をすすぎ体を清めている。そして、火葬された人間の灰はそのまま川に入り交じり、川の流れの一部となる。ガンジスはそんな川である」。
「ミイラの少女」――。
「ぼくはペルーのリマへ向かう。今から500年以上前、インカの時代に生け贄としてアンデスの山頂で命を捧げることになった(15歳の)少女『ドンセリャ』の足跡を辿り直すためである。・・・アンデスの山頂で凍結ミイラとなって見つかった『ドンセリャ』は、このクスコの街で育った。現在はサンタカタリーナ修道院となっているが、昔はそこに太陽の処女の館なるものがあり、ドンセリャをはじめとする子どもたちが暮らしていたという。生け贄にされた子どもたちが辿ったであろう道は、クスコから標高4335メートルのラ・ラヤ峠を越えて、琵琶湖の12倍もの大きさを持つチチカカ湖のほとりへと続く。・・・この高さまでドンセリャをはじめとする子どもたちが登ってきたという事実を、すんなりと受け入れることができない。ここに至るアプローチは、生きるべくして死ぬ道を選ばざるをえなかった少女たちにとって、あまりにも過酷な道のりだったろう。彼らはここでトウモロコシの酒『チチャ』を飲んで昏睡状態となり、そのまま凍死して、神に捧げられることになった」。