榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

信頼関係を築いてつき合っていける人の数は150人だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2943)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年5月10日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2943)

キジの雄(写真1~3)がケーン、ケケーンと叫ぶように鳴き、翼を素早く羽ばたかせブルッブルッと羽音を出す母衣(ほろ)打ちをして、雌に求愛しています。オオヨシキリの雄(写真4~9)がギョギョシ、ギョギョシと盛んに囀っています。頭部の羽毛が逆立っています。スズメ(写真10~12)が餌をねだっています。ミナミメダカ(写真13、14)が群れています。ホンシャクナゲ(写真15)、セイヨウシャクナゲ(写真16、17)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,623でした。

閑話休題、エッセイ集『ゴリラからの警告――「人間社会、ここがおかしい」』(山極寿一著、毎日文庫)で、とりわけ印象に残ったのは、●真に信頼できる人の数、●AIさえあれば生きていけるのか、●老人は生きづらい世の救世主――の3つです。

●真に信頼できる人の数
「人間にとって、どのくらいの規模のコミュニティーで暮らすのが合っているのか。実は、それが脳の大きさから推定できるという説がある。・・・(人間の脳は)なんのために大きくなったのか。人間以外の霊長類で脳の大きさに関係しそうな特徴から調べてみると、それぞれの種が示す集団の平均サイズがきれいに正の相関を示すことがわかった。つまり、集団サイズが大きいほど、仲間の数が多いほど、脳が大きくなっているのだ。それを現代人の脳サイズにあてはめると、私たちの脳の大きさに対応する集団規模は150人だということがわかった。面白いことに、現代でも自分で食料を生産せずに、自然の恵みに頼っている狩猟採集民の平均的な村のサイズは150人だそうだ。今、都市に暮らす私たちは数千人、数万人規模のコミュニティーで暮らしているが、実際信頼関係を築いてつき合っている人の数は150人程度なのかもしれない。・・・つまりその数が、互酬性にもとづいて自分がよりよき関係を保ちたいと思う社会の規模なのだ」。

●AIさえあれば生きていけるのか
「最近の人工知能(AI)ブームは、人間のロボット化を加速しているような気がする。・・・驚いたことに、日本の中高生にAIの苦手な質問をしてみると、かなりの割合で誤って答えてしまうという。これは、子どもたちの頭脳がAI的になっているせいだと(AIを東大に入学させようとする『東ロボくんプロジェクト』を実施してきた)新井(紀子)さんは言う。文章の意味を考えずに、言葉を検索して頭のなかで個々の属性だけをつなぎ合わせているのである。これでは、せっかく『思考力・表現力・判断力』を向上させようとして記述式の試験を導入しても、成績は上がらない。読解力が低いままに大学で高等教育を受けても、知識も技術も身につけることはできないと新井さんは嘆く。これは、人間が言語を手にして以来、脳の中身を外部化してきた当然の、しかし大いに危惧すべき結果なのではないかと私は思う。・・・少し前まで頭で覚えていたことが、今ではスマホのなかに納まっている。友人の電話番号も、地理情報もこういったデータベースに頼らざるを得なくなっている。生まれたときからスマホを手にしている子どもたちは、こういったICT社会に慣れてしまっている。そのうち、データを利用して考えることさえも、AIに任せてしまうようになりはしないだろうか。文章を読解する能力をもたなくても、AIさえあれば生きていける。でもそうなったとき、人間は動物ではなくロボットに近い存在になっているのではないだろうかと私には思えるのである」。

●老人は生きづらい世の救世主
「老いは一様にやってくるわけではない。足腰の衰えが先にくる人もいれば、急に認知症になる人もいる。あっという間に老けこんでいく人もいれば、年齢の割には若く見える人もいる。病で早く亡くなる人もいれば、長寿を全うする人もいる。・・・老いの受け止め方も千差万別だ。物忘れや記憶違いが多くなってあわてる人もいれば、それをいいことにひょうひょうと生きる人もいる。周囲から相手にされなくなって孤独に悩む人もいるし、これまでの人間関係を断ち切って新しい仲間を求める人もいる。これまでの仕事にさらに磨きをかける人、全く違うことをはじめる人というように、老年期の過ごし方は人それぞれに異なっている。それは、老いの内容がそれまでの人生の過ごし方によって大きく異なるからだ。・・・人類の進化史のなかで、老年期の延長は比較的新しい特質だと思う。ゴリラやチンパンジーなど人類に近い類人猿に比べると、人類は多産、長い成長期、長い老年期という特徴をもっている。・・・なぜ、人類は老年期を延長させたのか。・・・老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。青年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトをあたえることにこそ大きな価値がある。・・・(青年や壮年の)行きすぎをとがめるために、別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。・・・人間の社会においても、老境の存在は対立を解消し平和を実現する上で常に大きな影響力を発揮してきたに違いない。老人たちはただ存在することで、目的的な強い束縛から人間を救ってきたのではないだろうか。その意味が現代にこそ重要になっていると私は思う」。

語り口は柔らかいが、いろいろと考えさせられる一冊です。