戦後、愛する夫を戦争で失った女と、冷たく接し死なせてしまった恋人の大切さを戦地で思い知った男が出会った・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2112)】
大関から序二段まで陥落しながら、歯を食い縛り、大関復帰が狙えるところまで這い上がってきた照ノ富士の相撲から、勇気と元気をもらっています。逆境を経験したことで、人間的に一回り大きくなったことも注目に値します。
閑話休題、野間宏の初期短篇集『暗い絵・顔の中の赤い月』(野間宏著、講談社文芸文庫)に収められている『顔の中の赤い月』は、戦後の男女の心の揺らぎが描かれています。
「未亡人堀川倉子の顔のなかには、一種苦しげな表情があった」と始まります。
「北山年夫は、彼女の顔を見る回数が次第に多くなるにつれて、その顔の表情がだんだん自分の心の深みに、はいり込んで来るのを認めた。彼は一年ばかり前、南方から帰って、東京駅の近くのビルディングの五階にある、知人の会社に席を置いていたが、彼はよく廊下やエレヴェーターの内や便所の入口などで彼女に出会った。そしてその度に、彼は彼女の顔の中に、その一種不可思議な苦しみの表情を見出した。彼は彼女の顔が、彼の心の内にある苦しみに、或る精神的な甘味と同時に痛みの伴う作用をするのを認めた」。
年夫の心の底には、彼を心から愛してくれた女に冷たく接し、軍隊に行っている時にその女の死んだ知らせを受け取ったことと、南方の戦線で、戦友の二等兵が体力を消耗して死んでゆくのを見殺しにしてしまったことが重く蟠っています。
倉子は恋愛結婚し、深く愛し合った夫を、結婚後3年目に戦争で失い、最近、意に染まない再婚話が持ち上がっています。
「『この人の生活も、果していつまでつづくことだろうか。売り喰いだと言っていたが、それが終ればどうするというのだろうか』と北山年夫は自分の横にじっとつっ立って、夜の街の暗い灯に眼を向けている堀川倉子のことを考え始めた。『俺は一体、どうしようというのだろうか。俺は一体何を求めようというのだろうか』。『俺は彼女に愛を求めようというのだろうか』。『戦争で愛する夫を失った女と戦争で死んだ恋人の愛の価値を知らされた男とが結ばれる・・・ちょっと、小説だな』と彼は思った」。
やがて、二人に意外な結末が訪れます。