5000年前のヨーロッパでは、農耕民が狩猟採集民を奴隷化していた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2126)】
マンサク(写真1~3)、アカバナマンサク(写真4~6)が咲いています。サンシュユ(写真7、8)の蕾が膨らんできました。あちこちで、カワヅザクラ(写真9~13)が咲き始めています。
閑話休題、「日経サイエンス2021年3月号」(日経サイエンス社)に掲載されている「DNA解析が明かす先史ヨーロッパ――農耕民による狩猟採集民の征服」(L・スピニー著、熊谷玲美訳)には、考古学に関心のある者にとって見逃せないことが記されています。
「約9000年前、中東の農耕民が新たな耕地を求めてヨーロッパに移住し、先住の狩猟採集民と遭遇した。当初は交易などを通じ両者が共存し交配も進んだが、5000年前までに農耕民が大陸を支配し、階層的な社会構造が発達した。埋葬状況や遺骨のDNAを調べた研究によれば、狩猟採集民の血を濃く受け継ぐ人々が下位の存在として扱われていたようだ」。
「農業は新たな経済モデルを導いただけでなく、金属器や新たな食習慣、土地利用の新しい形態をもたらし、さらには自然と人間の関係や人間同士の関係も変えた」。
「ある一つの傾向が明らかに読み取れる。時とともに農耕民が増え、狩猟採集民を同化して、これに置き換わった。そして抵抗する狩猟採集民を地理的にも社会的にも周縁へと追いやった。恐ろしいことに、不平等が拡大した社会の少なくとも一部では、狩猟採集民の血を濃く受け継ぐ人々が奴隷にされ、おそらくは死後の世界で主人に付き添わせるために生贄にされていた例まであったようだ」。
「ミヒェルスベルクの墓は階層社会を示している。一部の遺跡(ドイツのカールスルーエ近郊のブルッフザール・アウエ遺跡など)では、地位の高い人物は横向きで体を丸める伝統的なLBK(線帯文土器文化)方式で埋葬されていたが、その周りの人物は乱雑に放り込まれたようだった。歯のストロンチウム同位体比は同じ墓の被葬者がみな同じ農耕民の食事をしていたことを示しているが、DNAを調べると、周りにいた人物は概ね、中央の人物に比べ狩猟採集民の血を濃く受け継いでいた。さらに、狩猟採集民の遺伝子を持つ人々の遺骨は往々にしてゴミ穴や溝に捨てられていた」。
「グローネンボルンによれば、これらの結果は、社会的・生物学的背景を理由とした差別のある社会の存在を示しており、そこでは底辺の人々の命が軽んじられていた。地位の高い人の墓に放り入れられた人々はおそらくは奴隷か捕虜で、亡くなった主人の介添えにされたのだろうとグローネンボルンは言う。『殺されて墓に入れられたのだと思う』」。
これまでも階層分化が進んでいたことは知られていたが、このように科学的なエヴィデンスによって裏付けられると、当時の状況が臨場感をもって生々しく迫ってきます。