田中優子と松岡正剛の丁々発止のやり取りが知的好奇心を掻き立てる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2165)】
突如、飛んできたイソヒヨドリの雄(写真1、2)。撮影助手(女房)が指差す先にカメラを向けて、慌ててシャッターを切りました。30羽ほどのマヒワ(写真3~7)の群れに出くわしました。アキニレの落ちた実を盛んに啄んでいます。若鳥も交じっています。アオジの雄(写真8)、雌(写真9)、アカゲラの雄(写真10、11)、シロハラ(写真12)、モズの雄(写真13)、雌(写真14)、ジョウビタキの雄(写真15)、雌(写真16)、カワセミの雄(写真17)をカメラに収めました。今季初めて、アゲハチョウ(写真18、19)を見ました。因みに、本日の歩数は11,167でした。
閑話休題、対談集『江戸問答』(田中優子・松岡正剛著、岩波新書)は、田中優子と松岡正剛の丁々発止のやり取りが知的好奇心を掻き立てます。
とりわけ興味深いのは、中江藤樹、新井白石、内村鑑三、新渡戸稲造を論じた件(くだり)です。
中江藤樹――
●松岡=学ぶ方法の感応力が日本で高まっていたからこそ、陽明学の知行合一にものすごく方法的に感じるものがあったんでしょう。おそらくそういうことは中江藤樹の頃から始まっていたんだと思う。あすが、近江聖人。●田中=藤樹の考えの特徴を言うと、官学的ではなく私学的な学びをめざしています。つまり武士が出世や教養のために学ぶ儒学ではなく、日常を生きる庶民が自分の身をどう修めればよいかを、自分自身の問題として考え、また伝えようとした。彼は実際、農民の出身ですし、一度は武士階級の教育を受けますが結局、村へ帰って私塾を開きますね。・・・王陽明もたどったように、朱子学から脱して実践に抜ける方法として、私欲のない「心」と「理」は一致するものとした。行動をともなわない知は知とは言えないから「知」と「行」も一致するものだとした。
新井白石――
●田中=新井白石は新知識人の代表的な人物ですね。歴史観もあるし、海外の事情にも明るく、積極的に外国人から聞こうとする。自伝の『折たく柴の記』も本当に名著です。ただの記録なのに、知的な文章です。●松岡=日本人はもっと新井白石を自慢したほうがいい。正徳の治の施策もさることながら、モンテーニュやヴィーコに匹敵する知性がすばらしい。青年期は中江藤樹を読んでますね。でも一介の旗本だったんだよね。●田中=無役の旗本でした。
内村鑑三――
●松岡=(内村は)ジーザス(Jesus)とジャパン(Japan)という「2つのJ」を両方とも手放さなかったことです。そうして、アメリカのプロテスタンティズムではなく、ジャパンの「J」を入れた日本的キリスト教をつくろうとした。・・・非常に新しい試みだったと思います。(さらに)日本は大国をめざすべきではない、小さいままのほうがいい、ボーダーランド・ステートになるべきだと説いたところです。ボーダーランド・ステートというのは「境界国家」ですね。日本は東と西のあいだにあって、インターフェースとしての機能をはたすべきだということです。これは日清・日露で国威を上げ、領土を増やそうとしていた時期としては画期的です。たんなる反戦ではなかった。
新渡戸稲造――
●松岡=新渡戸について注目しておきたいのは、「武士道にはキリスト教のよさに匹敵するものがあるが、『愛』が欠けている」と言ったことかな。これは新渡戸らしい告白ですよね。●田中=そのうえで儒教の本質を衝いている言葉だと思いますが、愛が欠ける場合には「孝」が必要だとも言っている。●松岡=そうそう。「愛」から「孝」に切り替えている。