榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

安岡正篤の講話で、王陽明、中江藤樹らの教えのポイントが分かった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(478)】

【amazon 『人生と陽明学』 カスタマーレビュー 2016年8月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(478)

安岡正篤(まさひろ)が81歳の時の写真を見ると、確固たる信念の持ち主であることが伝わってきます。

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人生と陽明学』(安岡正篤著、PHP文庫)を読んで、意外の念に打たれました。もっと高踏的な論調を想定していたのに、何とも親しみ易い語り口だったからです。本書が講話集ということが影響しているのでしょう。

陽明学の祖・王陽明と、日本陽明学の祖・中江藤樹とその流れを汲む人々の事績が簡潔に語られていますが、とりわけ興味深いのは、王陽明、中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩中斎(平八郎)、山田方谷についての部分です。

「陽明の教学を最もよく代表するものは、何と言っても『伝習録』であります。・・・その『伝習録』の中巻に『顧東橋に答ふる書』というのがありまして、これが所謂『抜本塞源論』というものであります。・・・本文は顧東橋の質問に答えられたもので、最後に結論とも言うべきものが書かれてある。これは誠に堂々たる文章でありまして、天下の名論『伝習録』中の傑作として、古今に有名なものであります」。陽明の「本(もと)を抜き、源を塞ぐ」は、このように説明されています。「人間は、人や物によって、他によって、平たい言葉で言えば、他人の褌で相撲を取ろうという様な、安易な、功利的な考えを捨てて、かなわずと雖も自ら奮発して、身を以て事に当たるより外にない、ということを力説しておるのであります」。

陽明に対する安岡の敬慕の念が全篇に溢れています。「よくもあの病躯を引っ提げて、あの艱難辛苦を極めた経歴の間にあれだけの学問・講学が出来たものであります。彼の文を読み、詩を読み、門弟達との間に交わされた問答や書簡を読み、或いは政治に対する建策、匪賊討伐の際の建白書といったものを読みますと、本当に何とも言えぬ感激に打たれるのでありまして、人間にこういう人がおるのか、又人間はこういう境地にあってこういうことが出来るものか、ということをしみじみ感じます」。

「陽明先生の生涯を通じて最もうたれることは、真剣に身心の学問・求道に徹した人だということであります。それが先生の天稟を養って、学問に於て、教育に於て、行政に於て、或いは軍政・軍略に於て、行くとして可ならざるなしというような自由自在の驚嘆すべき業績となっておる。しかも先生自身は左様な天賦や事績を何とも思っておらない」。

陽明が弟子に与えた手紙に見える「山中の賊を破るは易し。心中の賊を破るは難し」という言葉が胸に響きます。

「藤樹先生、蕃山先生を追想致しまして、なによりも先ず気のつくことは、先生達がいかに真剣に学ばれたかということであります。・・・先生方の性命を打ち込んでされた学問というものは、決して外物を追う、単に知識を得る、或いは資格を得る条件にする、というような功利的目的のためではない。その最も大切な意義は、自分が自分に反(かえ)る、本当の自分を把握するということであった。自分というものをはっきりつかんで、自分の本質を十分に発揮するということであったわけであります」。

藤樹が特に重んじた「敬」については、こう解説されています。「敬という心は、言い換えれば少しでも高く尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという心であります。従ってそれは同時に自ら反省し、自らの至らざる点を恥ずる心になる。省みて自ら懼れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく。偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自ら省みて恥ずる、これが敬の心であります」。

読み終わって、一度、直に安岡の講話を聴きたかったなとしみじみ思いました。