本は読むだけじゃない、本が醸し出す空間も魅力なんだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2166)】
ネモフィラ(写真1、2)、ヒマラヤユキノシタ(写真3)、カラスノエンドウ(ヤハズエンドウ。写真4)、ハナズオウ(写真5)、サクランボの‘ダンチ(暖地)’という品種(写真6)が咲いています。自然観察仲間の池上均氏が、ニリンソウ(写真7、8)、キクザキイチゲ(写真9~11)が咲いている場所を教えてくれました。因みに、川中美幸の「二輪草」は、私の好きな歌です。我が家では、ムスカリ(写真13)が咲いています。タチツボスミレ(写真14)が咲き始めました。
閑話休題、『本屋と図書館の間にあるもの』(伊藤清彦・内野安彦著、郵研社)は、元・著名な書店員で現在は図書館副館長の伊藤清彦と、元・図書館長で現在は大学教員の内野安彦の、本屋と図書館を巡る対談集です。
書店員の99%は図書館は書店の敵だと考えているという話が供されます。「●伊藤=僕は1%のほうに入っていますね(笑)。考えたことすらない。こういう設問自体が何故? 図書館は敵でも何でもない、本を扱う仲間ですよ。方法論がちょっと違うだけの話で。図書館のせいで売上げが落ちるなんて恥ずかしいこと、よく言えますよね。自分が努力を怠っているわけなので、そんなことを言うこと自体、もう負けている。僕は現役の書店員時代に頭に浮かんだことすらない。変なことを考えている人がいるんだ」。
書店で一番大切なのは入れる作業じゃなく削る作業だというのです。「●石川=私が書店員さんの書かれた本で、一番おおっ、と思ったところは、減らしていく作業だと書いてあったところです。大型店ではない書店で、何を置かないかをすごく考えられたと。さっき内野さんが、書店がうらやましいのは何でも置けるところだとおっしゃいましたが、そこはすごく反してるというか。何でも置ける『何でも』は、実はすごく精査されたものだと思うんですけど。●伊藤=ちょっとだけ意味が違ってるんですけど。『何でも置ける』と『削る』はちょっと違うので。書店で一番大事なのは入れる作業じゃなくて、やっぱり削る作業なんです。入れるのば誰でもできるんです。そうじゃなくて、新しいものが入ってくる限り、棚をつくっていくときに、どうしても外さなければいけないものが必ず出てくる。そうすると、内容がわかってないと削れないんですよ。安心して削れるものは、そうあるわけじゃないので」。
近代作家の作品を借り出す人がほとんどいないという、驚くべき事実が語られています。「●伊藤=図書館で、僕は最初に近代作家とかを入れたんですよ。でも今はほとんど借りられない。志賀直哉なんか、全然動かないですよ。僕は若いとき、ほとんど全部読みましたから。それが志賀直哉にしても島崎藤村にしても、誰も借りやしない。辛うじて夏目漱石と太宰治は借りられるんですけど・・・。ほかにもすごい近代作家はいっぱいいるんだけどね。芥川龍之介も多少借りられるけれども、とにかく、いろいろな作家が読まれていないですね。がっくりですよ。●内野=図書館員も読まないものね」。
本屋大賞の実態が明かされています。「●伊藤=本屋大賞というのがありますよね。あれの投票者の実に9割以上が女性ですよ。しかもパート。そうするとそういう人たちが好む本が選ばれるのは当たり前なんですよ。しかもあそこの投票する人たちの読んでいる本というのは、多くが『本の雑誌』なんです。だから『本の雑誌』の読舎イコール投票者なんです。それが顕著になったのは、もうかなり昔なんですけれども」。
本は読むだけじゃない、本が醸し出す空間も魅力だと喝破されています。「●内野=いっとき大手が席捲したアメリカの書店業界も結局、大手も駄目になっちゃって、今、また中小の店舗が増えてきているじゃないですか。しかももう時代は電子書籍だよ、紙は終わりだなんて喧伝しながら、電子書籍の伸びもアメリカは止まっちゃった感じですよね。多分、ここからまた大幅に伸びることはないと思うし、むしろ紙に回帰しているところもあって。電子を否定はしませんけれど、ちょっとあまりにも電子に夢を抱き過ぎちゃっていて、全部電子で万々歳みたいな感じでね。伊藤さんが前に言っていたかな。本って読むだけじゃないもんね。やっぱり触って、においをかいで、重さを確かめるという。この世界は情報じゃないんですよ。本なんですよね。だから本当に情報だけを求めている人と、本を求めているという人は違うと思います」。まさに、そのとおりだ! 私は、棺桶に入る直前まで、紙の本派を貫く覚悟です。