バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマンらが登場する、音楽を巡るエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2254)】
ブラックベリー(写真1)が実を付けています。テッポウユリの園芸品種(写真2~4)、アンスリウム・シェルゼリアヌム(写真5)が咲いています。ヒメコマツ(写真6、7)が育っています。
閑話休題、『社会思想としてのクラシック音楽』(猪木武徳著、新潮選書)では、クラシック音楽のあれこれについて蘊蓄が語られています。「ルネッサンス以降のクラシック音楽の歴史は、バロック(17世紀初頭~18世紀中頃)→古典派(18世紀中頃~19世紀初頭)→ロマン派(19世紀初頭~20世紀初頭)と、大まかに区分けされる」。
とりわけ興味深いのは、「バッハとその後の音楽」、「ヘーゲルはバッハの美をどう表現したか」、「使用人としてのモーツァルトとハイドン」、「晩年のモーツァルトにパトロンはいなかった」、「マックス・ブロートとチェコ・ナショナリズム」の5つです。
●バッハとその後の音楽――
「モーツァルトはバッハの楽譜を熱心に学んだひとりである。・・・1750年にバッハは亡くなっているが、死後30年経っても作曲家の間ではバッハは決して忘れられた存在ではなかった。少年ベートーヴェンも、1783年3月にボンでデビューを飾った折、手渡されたバッハの『平均律』のプレリュードとフーガを初見で弾いたという逸話が残っている。ベートーヴェンが亡くなったとき(1827年)、遺品の中から、バッハのモテット、『平均律』、『インヴェンションとシンフォニア』、『トッカータ(ニ短調)』の楽譜が見つかったという。1830年代になると、作曲と音楽評論の両分野で才能を発揮したシューマンがロマン派の音楽を主導するようになるが、そのシューマンが絶賛したショパンもブラームスも、驚きとともにバッハの音楽への敬意と賞賛を示している。シューマンが、メンデルスゾーンのバッハ『マタイ受難曲』再演に評論家として強い関心と共感を示したのも不思議ではない。作曲家としてのシューマンは、バッハの無伴奏ソナタに鍵盤楽器の伴奏を付けたり、B・A・C・Hの音を素材としたフーガを作曲している。ブラームスがバッハの無伴奏ヴァイオリンのための『シャコンヌ』をピアノの左手用に編曲しているのも、バッハへのオマージュだ」。
●ヘーゲルはバッハの美をどう表現したか――
「メンデルスゾーンはヘーゲルの美学の講義を受けていた。そのヘーゲルはバッハに強い関心を持ち、講義録『美学』の中でもしばしばバッハに言及し、『その壮大で、真にプロテスタント的な、しんの強い、しかもいわば修練をつんだ天才性は、やっと近頃になって再び完全な評価を受けるようになった』と述べている。ヘーゲルの鋭さは、バッハの音楽が『単にメロディー的なものから性格的なものへ』、『メロディー的なものが支持統一する魂として保存されている』ことに、『真のラファエル的な音楽美を見出している』とみている点にも表われている。バッハの技法自体が、情緒的なもの以上の、魂に関わるような場所へと人を引き上げる理知的な美しさを持っていることを見抜いており、それが単声のメロディーだけではなし得ないことに注意を促しているのは実に鋭いと思わざるを得ない」。
●使用人としてのモーツァルトとハイドン――
「ハイドンは注文主の土地貴族の希望に従順であった。この姿勢は、モーツァルトが『抵抗の精神』でもって、コロレード大司教と衝突し、ザルツブルク大司教・宮廷オルガニストの職を擲って、そのあと『フィガロの結婚』や『コジ・ファン・トゥッテ』のような革新的なオペラの名曲を書き上げたのとは好対照をなしている」。
●晩年のモーツァルトにパトロンはいなかった――
「バッハの経済状況は、モーツァルトがザルツブルク大司教と袂を分かち、ウィーンでフリーランスの作曲家として活動を開始してからの経済的苦境とは性格が異なる。バッハは低額であるが収入は確保されていた。モーツァルトには、多額の借金があり、さらなる援助を願い出ているフリーメイソンの同志ミヒャエル・プフベルクやカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵のような理解者はいたものの、ウィーンで独立した後、年金収入を約束してくれるようなパトロンはいなかった。したがって、ウィーン時代のモーツァルトはパトロン不在の『経済基盤の端境期』の不運な芸術家であった。革命による貴族制崩壊期の不安定な時代を生きねばならなかったのである。・・・モーツァルトは、パトロンのいないまま、ウィーンで約10年間の歳月をかけて、われわれ音楽愛好家の宝となるような幾多の傑作を生み出している。そして(モーツァルトを無視した)レオポルト二世の戴冠式の翌年の12月5日にこの世を去り、ウィーン市門外の聖マルクス墓地に墓標もないまま埋葬された」。
●マックス・ブロートとチェコ・ナショナリズム――
「ヤナーチェクとマックス・ブロートとの友情は、チェコへの愛国心を媒介としつつも、さらなる高みを目指す芸術の理念と深く結びついている。ブロートは詩人であり、翻訳家であり、作曲家でもあった。カフカの未刊行作品についての『遺言執行人』としても知られる。・・・カフカの作品を、彼自身の置かれた文化的あるいは家庭状況に照らして解釈することはできる。しかし彼の作品がそうした個人的な状況を超えた普遍性をもっているのも確かだ。彼の3つの長編(いずれも未完)『アメリカ』『審判』『城』は、いずれも細やかで明晰な描写とシュールレアリスティックな発想だけでなく、ユーモアと逆理に溢れている。カフカのドイツ語は、文体・語彙いずれから見ても単純明快である。にもかかわらず、読む者は各人の読み取る力に応じて、『何か』を汲み取ることができる。うわべの単純さの奥には、モーツァルトの音楽のように存在の深い淵が秘められているのだ。その『何か』こそ、すべての読者がそれぞれ読み取る力に応じて汲み取ることのできる普遍的な『何か』なのだ」。
バッハ、モーツァルトのCDをじっくりと聴きたくなりました。