北一輝の『日本改造法案大綱』の骨子は、意外にも、マッカーサーの占領政策で、ある程度実現された・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2474)】
明けの明星(金星。写真1、2)が輝いています。千葉・野田の清水公園で、アトリの雄(写真3~7)、雌(3、8~10)、シロハラ(写真11)をカメラに収めました。ウメ(写真12~17)が芳香を漂わせています。因みに、本日の歩数は18,661でした。
閑話休題、『革命家・北一輝――「日本改造法案大綱」と昭和維新』(豊田穣著、講談社文庫)を読んで、私が北一輝という人物を誤解していたことが分かりました。
「北一輝には『国体論及び純正社会主義』を始め、『哲学論』『経済論』『志那革命外史』など多くの著作があるが、その中で最も有名なのが『日本改造法案大綱』で、事実この本が五・一五事件やニ・二六事件を引き起こしたといってもいいほど、事件の主役の青年将校たちに、大きな影響を与えた。・・・北一輝の革命思想は、ファッショのように見えて、その根底には民衆のための社会主義が土台となっていることは、忘れられてはならない。・・・北一輝の場合も若い時は社会主義者であったが、段々右翼に近付き、晩年には高畠(素之)のように国家社会主義者と呼ばれるようになっていく。それでいて国家改造の為に書いた『日本改造法案大綱』が、青年将校の聖典のようにもてはやされると、当局からファッシスト――国家主義者・・・二・二六事件の黒幕・・・と規定されるようになっていく」。
妻・すず子は、夫・一輝について、このように語っています。「私は本当に北を立派な人物だと思っています。否、むしろ気の毒な人だとさえ思っています。女中や運転手に対する親切な心遣い、どんな人にもその人格を尊重するその態度、そして自分は御苦労しても人さまのことであれば、決してそれを言外にあらわさないあの偉大さ、到底私たちは追いつくことも出来ません。猶存社当時(大正9年頃のことです)生活上の収入はほとんどない。それでいて家では毎日お客さんばかり。もちろん、その頃は女中ひとりいるのではございません。ですから、私はこの御客様のためにも来る日も来る日も御飯たきばかり。御飯たきはいいとしても、お米を買うお金がありません。それていて北は、『食事を用意せよ』というのですから、私もとうとう我慢ができなくて、今からすれば恥ずかしいことですが、満川(亀太郎)さんや大川周明さんや、安岡(正篤)さんらがおいでになるにもかまわず、『私はここにおさんどんに来ているのではございません。今日かぎり、お暇を頂きたい』と申したてたことがございます。もとより安岡さんや満川さんにとめられて事なきを得ましたけれども、北のやり方は万事このようでした。・・・老い朽ちてこんなアバラ屋に、しかもまた昔にかえり賃仕事までして暮らしていても、私は北と一緒になって以来の過去30年の生活を振り返り少しも悔やむところがありません。北と結婚したことは幸福であったと思っています。結論的にいえば、妻から見た北は、その純情さにおいて子供のような純粋さ、素直さがありますが、彼は結局、革命家でもなければ、政治家でもない。学者でももちろんない。自分自身の生涯――言行、態度のすべて――を一枚の絵のように綺麗に画きあげようと努力した芸術家ではなかったでしょうか。ですから、世俗的な幸福はこの人にとっては問題ではなかったでしょう。あの人の幸福は、あの劇的な多彩な生涯の中に見出されるのではないでしょうか」。
「『日本改造法案大綱』に心酔した陸海軍の革新将校たちは、具体的な革命の為にクーデターを起こすが、北一輝は、『未だ時期尚早なり』として、西田税にブレーキをかけさせ、この為に西田は重傷を負ったりする」。ニ・二六事件後、逮捕された一輝は、「これで私の『日本改造法案大綱』が実現するなどという『安易な楽観』は持っておらず(このところ、北一輝が自分の『日本改造法案大綱』の実行がいかに難事であると考えていたかを察知させて、興味深い)、ただ青年将校の攻撃目標が達成されれば幸いで、あとは真崎内閣ならば、むざむざ青年将校を犠牲にはしまい、と思ったからこの説を唱えたので、山口、亀川、西田らが、真崎内閣を考えたのとは、動機も目的も全然違っていると思います」と述べています。
「北一輝の『日本改造法案大綱』は、37歳の革命家が書いた、日本でも珍しい国家改造革命のマニュアルとして、不滅である。しかし、五・一五事件から二・二六事件にかけて、青年将校は救国の熱意に燃えて、クーデターを行なったが、北一輝はついに自分が先頭に立って、『日本改造法案大綱』を実現する機会はなかった。幻の革命論と言われる所以であろう」。因みに、『日本改造法案大綱』では、言論の自由、基本的人権の尊重、華族制度の廃止、天皇の国民ではなく国民の天皇、農地改革、普通選挙、私有財産の制限、財閥解体、労働者の権利の確保――などが主張されており、その先進性に驚かされます。
『日本改造法案大綱』を典拠として実行された五・一五事件、二・二六事件等は、全て流血の中に不発に終わったが、意外な展開を見せます。「天才・北一輝の悲願『日本改造法案大綱』の骨子は、マッカーサーの占領政策によって、ある程度の改革として実施され、北の(銃殺刑による55歳での)死後半世紀を経て(本書の出版は1991年)、日本は経済大国としては、世界中で認められるようになってきた」。すなわち、マッカーサーは、天皇制は残しながらの民主化を強力に推し進めたのです。
実に読み応えのある一冊です。