寿命は死亡率によって進化したという「進化論的寿命説」とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2654)】
10頭近くのチョウトンボが湿地帯を飛び回っています。40分ほど粘って、チョウトンボの雌(写真1)をカメラに収めることができました。ジャコウアゲハの雌(写真2)、アカボシゴマダラ(写真3、4)、ツマグロヒョウモンの雌(5~7)、ジャノメチョウ(写真8、9)、ヒメウラナミジャノメ(写真10)、ベニシジミ(写真11)、ツバメシジミの雌(写真12~14)、ヤマトシジミ(写真15)に出会いました。因みに、本日の歩数は11,567でした。
閑話休題、『ヒトはなぜ死ぬ運命にあるのか――生物の死 4つの仮説』(更科功著、新潮選書)は、ヒトの死を科学的に考察しています。
「生物がなぜ死ぬかについては、19世紀から20世紀にかけて、300以上の仮説が提唱されたと言われる。しかし、そのなかで、死の根本的な要因について論じた仮説は3つとされている。それは、若い世代に道を譲るためだという『種の保存説』と、生きているあいだに使えるエネルギーは一定だという『生命活動速度論』と、寿命は死亡率によって進化したという『進化論的寿命説』の3つである。これから、その3つの仮説について検討していくが、その前に、もう1つの死の形について確認しておこう。それは生物が存在するために不可欠な、自然淘汰による死である」。
「私たちヒトは『すべての個体がかならず死ぬ』種である。こういう種は、生物の歴史のなかで途中から現れたので、『一部の個体がかならず死ぬ』種から『すべての個体がかならず死ぬ』種が進化したことになる。『すべての個体がかならず死ぬ』とは、『寿命がある』と言い換えてもよい。そこで、『寿命がない』種から『寿命がある』種が進化したともいえる。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。事故などで死ぬのなら、まだあきらめもつく。しかし、事故も何もなくても、すばらしく快適な生活を送っていても、それでも死ななければならないなんて、納得がいかない。しかも、すぐ隣には、死ななくてもよい生物がいるのだ。それら(細菌など)は快適な生活を送っているかぎり、いつまでも生きていられる。いっぽう私たちは、快適な生活を送っていても、寿命がきたら死ななくてはならない。両方とも同じ生物なのに、こんな不条理なことが許されてよいのだろうか。許されるかどうかは別にしても、たしかにこれは不思議なことである。なぜ私たちは死ななくてはならないのか。それを、これから考えてみよう」。
「それでは、寿命の長さはどうやって決まるのだろうか。今のところ有力な説は、死亡率によって寿命の長さが決まる、という説だ。たとえば、事故などの外因による死亡率の高い種では、自然淘汰による進化によって、成長や繁殖する年齢が早くなり、その結果内因の死亡率も高くなって、寿命が短くなるというのだ。これは進化説とも呼ばれるが、それでは少し漠然としているので、ここでは、進化論的寿命説と呼ぶことにしよう。・・・これらの結果から考えて、外因による死亡率によって寿命の長さが決まっている可能性は非常に高い。もちろん、寿命を決める要因が一つとは限らない。しかし、少なくとも、進化論的寿命説が寿命を決める要因の一つであることは、ほぼ間違いないだろう」。
いささか専門的な一冊です。