始皇帝の思想、焚書坑儒の実態、遺詔をめぐる異説――始皇帝に関する最新研究の成果・・・【情熱的読書人間にないしょ話(2724)】
1000mほどのサクラ並木の端から一本ずつ見て行き、最後の一本に止まっているツツドリ(写真1~5)を目にした瞬間の感激! 上空を舞うサシバ(写真6)、高鳴きするモズの雄(写真7、8)、千葉・野田の「こうのとりの里」の飼育施設内のコウノトリ(写真9~16)をカメラに収めました。散歩中のオーストラリアン・シェパードの雄・レオ君に出会いました(写真17、18)。
閑話休題、『新説 始皇帝学』(鶴間和幸著、カンゼン)は、近年の出土史料によって『史記』の始皇帝に関する記述をどのように補正できるに挑戦した意欲的な試みです。著者は、「あえていうならば、現在の私たちは『史記』の記述よりも始皇帝の時代の真実に近づいています」と自信の程を覗かせています。
とりわけ興味深いのは、●始皇帝の思想、●焚書坑儒の実態、●遺詔をめぐる異説――の3つです。
●始皇帝の思想
▶始皇帝は儒家を否定したと考えられがちだが、儒家の教えを積極的に活用していた。
▶始皇帝の周りには、「博士」と呼ばれる知識人たちがいた。時には彼らの意見も聞き入れながら政治を行っていた。
▶統一を果たし、死を意識するようになった始皇帝は、その思想も変化していく。老荘思想に傾倒し、その思想は始皇帝陵にも影響している。
●焚書坑儒の実態
▶焚書は儒家の書物が全て焼かれたわけではなかった。李斯は博士たちが歴史を学ぶことによって、政治を批判することを恐れた。
▶当時は、匈奴や百越などと対外戦争を行っていた時期で、戦争批判が出ないようにするための、一時的な言論統制であった可能性が高い。
▶坑儒によって諸生たちが殺されたのは、儒学を信じていたからではなく、戦時体制下の人民を不安にしたことが法に触れたから。
●遺詔をめぐる異説
▶『史記』では、趙高、李斯、胡亥の企てにより、始皇帝の偽詔が作られ、後継者が変えられたとなっている。
▶一方、近年発見された『趙正書』では、当初から胡亥が後継者となり、始皇帝もそれを認めていたと書かれている。
▶『趙正書』にはフィクション要素が認められるが、何らかの真実が反映されているはず。