榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

喜多川歌麿とは、こういう人物だったのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3316)】

【読書の森 2024年5月10日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3316)

ブラシノキ(写真1、2)、キンシバイ(写真3)、サツキ(写真4)、ラヴェンダー(写真5)、ムラサキツユクサ(写真6)、セイヨウヒルガオ(学名:コンヴォルヴルス・サバティウス。写真7)が咲いています。タケノコ(写真8)を見つけました。我が家の庭師(女房)から、ムラサキカタバミが咲き始めたわよ、と報告あり。

閑話休題、『もっと知りたい喜多川歌麿――生涯と作品』(田辺昌子著、東京美術)のおかげで、喜多川歌麿がどういう人物だったかを知ることができました。

●少年時代に町狩野の絵師である鳥山石燕の門人となり、錦絵出版界に入るものの、当初は一般的な新人浮世絵師同様、細判の役者絵など安価な商品を任されるだけであった。

●版元・蔦屋重三郎と出会い、見出され、そのプロデュースによって飛躍的な変貌を見せて、優れた美人画を出すようになる。

●天明後期から寛政初期に、『画本虫撰(えほんむしえらび)』を始めとする美しく画期的な彩色摺絵入狂歌本7種を手がける。「美人画家・歌麿」という印象を覆すほどの、精緻で写実的な描写で生き物や植物を表現している。

●寛政4~5年頃、歌麿の美人画を代表する、顔を大きく捉えた大首絵(おおくびえ)が人気を博す。

●歌麿は春画も描いている。

●寛政9年の蔦屋没後は、母と子や、庶民の暮らしを題材とした作品を描く。著者は、微笑ましく現実感のある母子の描写から、歌麿には妻子がいたのだろうと推察している。

●寛政の改革で粛清のターゲットにされ、文化元年には手鎖の刑を受ける。

●文化3年、没。

当時評判の3人の美人を描いた「当時三美人」(写真11)はよく知られているが、「見立邯鄲」(写真12)が強く私の印象に残りました。これは、「邯鄲の夢」の故事からモチーフを得た作品で、御殿女中たちを伴う輿で身請けされるという夢を見ている遊女が描かれています。