『アベラールとエロイーズ』のアベラールは、中世初の「教授」だった・・・【山椒読書論(26)】
『中世の知識人――アベラールからエラスムスへ』(ジャックル・ゴフ著、柏木英彦・三上朝造訳、岩波新書)は、ピエール・アベラールからデジデリウス・エラスムスへと中世知識人の系譜を辿っているが、その内容からして、誰の好みにも合うというものではないだろう。
しかし、あの世界的に有名な愛の往復書簡集『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』(ピエール・アベラール、エロイーズ著、畠中尚志訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)のアベラールに関心がある者には、見逃すことのできない一冊である。
著者は、「アベラールは12世紀という斬新な時代から生まれた、近代的意味からする知識人の先駆をなす大立者といえよう。実にアベラールは最初の『教授』であった」と位置づけている。
「まずその経歴からして、人並みはずれている」とあるが、「つねに論争を好んだ彼は、『弁証論の騎士』となったのである。終始ひとところにとどまってはいられず、論争すべき機会があるところならどこへでも赴いた。かくてたえず明晰な思考を働かせ、主導権を握りつつ激越な議論を展開したのである」。
アベラールが学校を開くと、講義を聴こうとする学生が続々と集まってくる。聴講者は先を争って、講義内容を書き取ろうとした。この絶頂期に、39歳の彼は教え子の17歳の才色兼備のエロイーズと激しい恋に落ち、彼女の妊娠・出産を知り怒り狂った叔父の回し者に寝込みを襲われ、男性のシンボルを失ってしまう。この事件により、アベラールの名声は傷つけられ、二人の運命が変転することとなるが、この経緯は『アベラールとエロイーズ』に詳しい。
この事件後も、63歳で没するまで、アベラールは学問に励み、論敵と戦い続ける。
「アラベールの本領は論理学(哲学の一分野)者たるところにあり、事実、彼は弁証論の第一人者であった。その『論理学入門』と『然りと否』によって、西欧思想に(デカルトに先立つ)最初の『方法叙説』をもたらしたのである」と、著者は高く評価している。さらに、アベラールは論理学者であるだけでなく、優れた倫理学(哲学の一分野)者、理性的な神学者でもあったのだ。