榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『ツァラトゥストラはこう言った』を読破しようと思いながら挫折した人に薦めたい最適・最高・最強の本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3431)】

【読書の森 2024年9月4日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3431)

ワレモコウ(写真1、2)、カンナ(写真3、4)、アマクリナム(クリナム・ムーレイとアマリリス・ベラドンナの交配種。写真5)が咲いています。日焼けを嫌う撮影助手(女房)は、自作の手袋をしています(写真6)。読書関係の調べものをするには、東京駅の丸の内側にある丸善丸の内本店が最適です。2024年8月12日に惜しまれながら逝去した松岡正剛のコーナーが作られています(写真7)。『百年の孤独』が小山のように積み上げられています(写真8)。因みに、本日の歩数は11,684でした。

閑話休題、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読破しようと思いながら、これまで挫折してきた人に薦めたい最適・最高・最強の本があります。その取って置きの一冊が、『快読 ニーチェ <ツァラトゥストラはこう言った>』(森一郎著、講談社選書メチエ)です。500ページと少々ヴォリュームがあるが、学生へのユーモア溢れる講義原稿が基になっているので、突然、自分は頭がよくなったのかもと錯覚するほど、重要ポイントがすらすらと頭に入ってきます。

本書のおかげで、分かったことが3つあります。

第1は、ニーチェがツァラトゥストラを通して読者に言いたかったことは、「神は死んだ」、「超人」、「永遠回帰思想」の3つだということ。

「神は死んだ」とは、この世・現世を超えたあの世・来世を語る者のことなど信じるなということです。「神は死んだ」は、コペルニクス革命によって成立した近代という時代を背景にしていることを忘れてはいけないと、著者の森一郎が言っています。

神が死んだ時代に、人間は、神とは違った到達可能な至高目標を掲げて、自己克服に努め、「超人」を目指せというのです。人間に実現可能な理想の極致のことを、ツァラトゥストラは「超人」と呼んでいるのです。この「超人」思想を基礎づけるための一般理論が「力への意志」説です。

超人を目指そうとするとき、壁のように立ち塞がるのが「永遠回帰思想」です。「どんなに努力しても、一切は同じことだ。この地上に新しいものなど何も起こらない。この世に起こることは全て同じことの繰り返しに過ぎない」というペシミズムを乗り越えるには、どんなに辛かろうが自分の生きた一生をそっくりもう一度生き直す覚悟を決めて生きろというのです。

類書と異なり、森一郎は、『ツァラトゥストラはこう言った』の中心主題は永遠回帰思想だと断言しています。

第2は、主人公のツァラトゥストラは決して超人などではなく、妙に強気かと思うと、突然弱気になって落ち込み、泣いたり何日も寝込んだりするという私たちと同じ未熟な人間であること。深刻に悩んだり、一方的に自説を語り捲るかと思えば、愉快に歌ったり踊ったりする多重人格的な人物であること。

そして、著者のニーチェは只管自己省察を深める生真面目な哲学者と思われているが、実は、笑いやエロティシズム、パロディーが大好きな、ある意味、私たちと同類の人間であること。

なお、ニーチェは1885年に『ツァラトゥストラはこう言った』を書き終え、1889年初めには精神の闇に閉ざされ、1900年に55歳で没しました。

第3は、ニーチェは最後まで言わないで、わざと言葉を濁し、読者に考えさせるという手法をとることがあること。読者を困らせることを愉しむあまり、ニーチェ本人もわけが分からなくなっているのではと思えるような表現も散見されること。さらには、読者サーヴィスのつもりか、面白く表現しようとした箇所が、読者には解読不能になってしまっているケースもあること。森一郎は、そういう部分は、何とか理解しようと呻吟することなく、さらっと読み飛ばすことを勧めています。

この本に出会えた幸運に感謝頻りの私。