『源氏物語』が、『源氏物語』であって『藤氏物語』でない理由・・・【山椒読書論(60)】
『闘諍と鎮魂の中世』(鈴木哲・関幸彦著、山川出版社)は、敗れし者たち――菅原道真、平将門、紫式部、源頼光、源為朝、曽我兄弟、後鳥羽院、楠木正成など――を歴史と伝承・伝説の両面から解き明かし、「闘諍(とうじょう)」と「鎮魂」というキーワードを手がかりに中世という時代に向かい合っている。
この敗れし者たちに紫式部が含まれていることに興味を惹かれ、この本を手にしたのだが、伝承・伝説の部分はさておき、歴史的な解釈には大いに刺激を受けた。
「寒門貴族の娘」である紫式部の「闘う式部」としての姿が、説得力を持って論証されているからだ。
「藤原道長に主導された摂関期以降、貴族官人社会では、家格の固定化がすすんだ。それと並行して、主要な官職について、特定の家による請負と世襲化、すなわち官職の世襲化と家業の形成が具現化していった。一方、(紫式部の父の)為時のような傍流の藤原氏や他の中流貴族の多くは、受領ポストを求めて、激しい猟官運動を展開していくことになった」。
「幼少期より父為時を漢学の師として敬愛し、学才の価値に確固たる信念を抱懐してきた式部にとって、屈指の文人貴族でありながら、門地の低い寒門出身であったため、長い政治的不遇を余儀なくされる父の姿はどのような影を落としたであろうか。式部の胸中に、自身の属する貴族官人社会の現況に対する批判の芽が、大きく膨張していたことは想像に難くない」。
「われわれは『源氏物語』を介して、貴族官人社会への批判に傾斜する式部の胸中を窺うことができる。式部が『乙女巻』で光源氏を代弁者として説く学問論は明快である。ここには、式部の辛辣な世相批判と、貴族道ともいうべき貴族のあるべき姿が説かれている。すなわち、式部は、理想的な貴族官人にとって必要なものは、家柄・血筋などではなく、政治風教の基礎となる学問=漢学であることを訴えたのであった」。
「式部が、こうした閉塞状況に身を置き、抱き続けた現状批判の心情が表出したのが『源氏物語』であり、この物語の執筆動機もまさしくそうした式部の意識にあったと考えられる」。
まさしく、「式部の書きあげた物語は、藤原氏の栄耀栄華を讃えた『藤氏物語』ではなかった。式部が渾身から描いたのは、賜姓源氏として皇族ラインからはずされた光源氏を主人公とする『源氏物語』であった」のである、