榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

山田美妙を巡る明治文壇の生々しい群像・・・【山椒読書論(83)】

【amazon 『美妙 書斎は戦場なり』 カスタマーレビュー 2012年10月18日】 山椒読書論(83)

社会通念の枠から食み出した人物を取り上げたとき、嵐山光三郎の腕が冴え渡る。『美妙 書斎は戦場なり』(嵐山光三郎著、中央公論新社)は、この好例である。

山田美妙という一般にはあまり知られていない明治期の作家の少年期から42歳で亡くなるまでの一代記であるが、これが滅法面白いのには、3つの理由がある。

第1に、美妙の少年時代の遊び仲間であり、やがて作家・編集者としてライヴァルとなっていく7カ月年上の尾崎紅葉が生き生きと描かれていること。「男気があり直情径行の紅葉と、内気で傷つきやすい美妙」の長期に亘る関係は、紆余曲折を辿るが、非常に興味深い。

第2に、美妙の同時代の作家たち――森鴎外(6歳上)、徳富蘇峰(5歳上)、二葉亭四迷(4歳上)、夏目漱石(1歳年上)、幸田露伴(1歳上)、正岡子規(1歳上)、樋口一葉(4歳下)、泉鏡花(5歳下)など――が身近な存在として、次から次へと登場してくること。

例えば、漱石と子規は、このように姿を現す。「教室の奥で、顔にあばたのある学生が、かがみこむように答案を書いていた。どんぐりまなこで運動好きで、紅葉と会っても視線をそらした。紅葉は、『区長の息子でカタブツ野郎さ』と声をひそめていった。塩原金之助、のちの夏目漱石である。漱石の横に坐っている四国出身のやけに態度のでかい生徒はのちの子規こと正岡常規であった。金之助と常規は、冷ややかな目で凸凹会の連中(紅葉と美妙)を見ていた」。

第3に、若い時期には当代随一の人気作家として一世を風靡した美妙が、演劇界、文壇から締め出される契機となったのが、9歳上で美妙の尊敬の対象であった坪内逍遥に対する誌上での皮肉交じりのからかいであったこと。この美妙の恩知らずで軽はずみな行動が逍遥の激しい恨みを買ってしまい、ここから美妙の転落が始まる。「美妙は『これから』というときに、逍遥によって文壇より抹殺された。それだけでなく世間より抹殺された」のである。恐ろしや。